三笘薫、決勝ヘッド弾はなぜ生まれた? ボーンマス戦で「どうしよう」と苦心→「入るな」へ蘇った訳【現地発コラム】
決勝点の伏線となったカイセド投入 決勝ヘッドは「入るな」
後半も試合は一進一退の展開だったが、同12分にロベルト・デ・ゼルビ監督が下した決断が三笘にとっての“ターニングポイント”となる。
デ・ゼルビ監督はFWダニー・ウェルベックに代えてポジションチェンジや連係プレーも積極的にこなすMFジェレミー・サルミエントを送り出し、この試合では明らかに苦しんでいたMFビリー・ギルモアに代えてカイセドをピッチに登場させた。
カイセドが背後に収ったことで、三笘は蘇った。本人はこう振り返る。
「彼(カイセド)はボールを持って常に前を見ながらプレーできる。相手も近寄れないし、遠くも見てくれる。そういったところで自分がいいポジション取り直せるっていう余裕が生まれた。それは彼のスキル(のおかげ)ですし、守備で1列前の高い位置を僕が取ってもうしろをカバーしてくれるのは信頼できる。そういうところがうまくいった」
そして迎えた試合終盤の後半42分、三笘が最大の見せ場を作る。左サイドから放ったクロスにニアで頭を合わせた。必死に首を伸ばしたヘディングにパワーは込められていなかったものの、ボールはきっちりゴール左隅に。GKが横っ飛びしして右手の指先でかろうじて触ったが、角度を変えたボールはゴールに吸い込まれ、サイドネットを揺らした。
三笘がなぜボックス内に入っていたかは、カイセドの投入とサルミエントのポジションチェンジによるところが大きいだろう。試合後のインタビューで「得意ではない」と語っていたヘディングシュート。ただ、本人は強い意志を込めていたようだ。
「(クロスに頭が)ぎりぎり届くか届かないかくらいだったので、逆にああするしかできなかった。(コントロールできたのは)弱く当たったのが良かった。枠内だけ意識して、立ち位置は分かっていたので、真横ぐらいかなと思って決めました。(クロスが入った時から)なんかもう入りそうな感じはあったので。(GKに)触られましたけど、入るなと感じていました。(決めるという)気持ちもあると思います」
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。