“失明危機”に陥ったデウソン神戸の松本光平、サッカーとフットサルの“二刀流”での苦悩とは? 茨の道も「知ってもらうことが大事」

2022年からFリーグ・デウソン神戸でプレーしている松本光平【写真提供:デウソン神戸】
2022年からFリーグ・デウソン神戸でプレーしている松本光平【写真提供:デウソン神戸】

【インタビュー】20年5月に不慮の事故で失明危機に陥った松本光平はデウソン神戸でプレー

 世の中が、初めて訪れたコロナ禍で不安に陥っていた2020年5月中旬、1人のサッカー選手が大きな事故に遭った。FIFAクラブワールドカップ(W杯)に出場経験がある松本光平が見舞われた悲劇だった。自主トレーニング中にガレージの壁に取り付けたチューブが外れて右目に直撃。“失明危機”に陥った33歳は、現在Fリーグ2部のデウソン神戸に所属している。サッカーとフットサルの“二刀流”で見えてきたものとは――。現況に迫った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞)

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 松本は、2019年12月に開催されたクラブW杯にオセアニア王者ヤンゲン・スポール(ニューカレドニア)の一員として日本人唯一の出場を果たした。だが、20年5月中旬に悲劇が松本を襲う。新型コロナウイルスの影響を受けてニュージーランドの自宅で自主トレーニング中に事故に遭った。ガレージの壁に取り付けたチューブを使って鍛えている時、留め具が外れて右目を直撃。左目にもチューブが強打した。ハミルトンの病院では「手の施しようがない。視力が戻ることはもうない」と宣告され、帰国後に横浜の眼科を受診。「回復する可能性は1%か2%」と言われたが、二つ返事で手術を決意し、右目の“失明危機”と戦うことにした。

 6月8日、無事手術を終えた。松本は“1%の可能性”に打ち勝ち、失明は逃れたが、右目はほとんど見えず、左目もぼやけている状態。それでも、暗闇からわずかな光が見えた。現在、当時に比べて左目の視力は少し落ちてきているという。

「左目は自分では全然気づかなかったけど、検査したらほんの少し落ちていた。ただ、全然自分では落ちている感覚もないし、むしろもう手術して2年以上経っているので、この感覚、この見えないことが普通になってきて慣れてきた。全然なんの苦もなく、普通に生活できているんじゃないかなと思っている」

 もともと、オセアニアを中心にさまざまな国を渡り歩いてきた。セレッソ大阪ジュニアユースからガンバ大阪ユースに移籍し、高校卒業と同時にイングランドへ渡り、2012-13シーズンからブリスベン・ロアー(オーストラリア)、14年にオークランド・シティ(ニュージーランド)、15年には当時元スペイン代表FWダビド・ビジャが所属していたニューヨーク・シティFC(アメリカ)に練習生として参加。ビジャの運転する車でグラウンドに行くこともあった。その後もニュージーランド、フィジー、バヌアツやニューカレドニアなどさまざまな国で経験を積んだ。そして昨年、デウソン神戸への加入が決定。サッカー選手と並行してフットサル選手への挑戦を決意した。それには理由があった。

「やっぱりサッカーと全然違うなっていうのはやってみて、改めて思う。僕がフットサルをどうして今やっているかと言ったら、目を怪我して、サッカー選手として復帰することを目標にして今も続けてはいるけど、目を怪我してから細かいプレーであったり、対人面というところが特に弱くなってしまったなと自分で思っていて。そういうところを、フットサルをやることによって、補えるんじゃないかなと思っている。これが最初のきっかけ。そこで、どうせやるんだったら、本当に1番上のレベルでやりたいと思って、チームを探して、今回こうやって、デウソン神戸が自分を受け入れてくれて、Fリーグという舞台でプレーさせてもらっている。もう本当にすごくチームには感謝している」

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