「来た時よりも美しく」 日本人サポーター、スタジアムでの“集団ゴミ拾い”が始まった日

1993年バングラデシュ戦で大勝後の国立競技場はお祭り騒ぎでスタンドは散乱

 プロサッカーがスタートしたことと日本代表も強くなり、1993年のW杯アジア予選にも希望が湧いてきた。悲願のW杯初出場に向けて希望に満ちて年が明けた。

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 1993年、W杯アジア1次予選で日本はUAE、タイ、バングラデシュ、スリランカとグループFに入った。1順目を日本で、2順目をUAEで開催するダブルセントラル方式がとられ、首位のみが次の最終予選に進むことができる。

 日本ラウンドは4月8日〜18日、UAEラウンドは4月28日〜5月7日のいずれも10日間で4試合というタイトなスケジュールだった。日本はアウェーでの戦いをあとに控えるということで、まずはホームで4勝を挙げることが必須だった。

 当時の日本代表はいいところまで勝ち進んでは苦杯をなめるという辛い経験を繰り返していた。もしかしたら初戦のタイに負けるかもしれない(実際に1984年ロサンゼルス五輪最終予選では初戦のタイ戦で2-5の大敗を喫した)。3連勝を飾ってもUAEに歯が立たず夢が絶たれるかもしれない(中東との対戦成績は悪かった)。まだ日本代表に「強い」というイメージは定着していたなかった。

 初戦となる神戸で行われたタイ戦、今ならさぞかし盛り上がったと思うかもしれないが、実はそうでもなかった。神戸ユニバーシアード記念競技場は満員にならなかった。

 ともあれ、初戦の日本は緊張でガチガチだったが、三浦知良のゴールを守り切り1-0の辛勝を収める。4月11日、中2日で迎えたバングラデシュ戦は8-0と大勝し、日曜日の国立競技場はお祭り模様になった。

 だが当時のサポーターはまだ代表チームの勝利に慣れていなかった。一通り喜んでみたものの、スタジアムを出る前には冷静になっていく。この喜びがそんなに続くはずがないという不安が残っているようだった。

 落ち着いたあとに周りを見ると、あふれかえったゴミ箱や、捨てる場所が見当たらずに足元に放置されたゴミが落ちている。1人の小柄な女性が「こんなに散らかしちゃダメだよ」などと大きな声でブツブツ言っていた。

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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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