なぜ岡山学芸館は選手権初優勝できたのか 高原監督が挙げた県全体の底上げの理由

高原監督はジュニアユースのレベルアップを県全体の底上げの理由に挙げる

 岡山はそこに98年創部の岡山学芸館が力をつけて盟主争いに参陣し、古豪の寡占状態にくさびを打ち込んだのだ。初陣は6年前の第95回大会。最近7年間で代表権を5度獲得したように、県内では新風として猛威を振るっている。

 2003年にコーチに就任し、08年から指揮を執る高原良明監督は指導をスタートさせて節目の20年目に偉業を達成した。

 長らく岡山の高校サッカーに携わり、今回の初優勝に至った要因や県全体の底上げというは、どんな背景があってもたらされたのだろう。

「まずジュニアユースのレベルが年々上がりましたし、プリンスリーグ中国で強豪チームと強度の高い試合を多く経験できていることも大きいと思います」

 昨季のプリンスリーグ中国には岡山県から岡山学芸館、作陽、就実、ファジアーノ岡山U-18と最多の4チームが所属していた。

 岡山県の加盟校数は71で、最多224の神奈川県の3分の1だ。高原監督は「うちに入ってくるのは中学でも2番手、3番目の選手が多いが、スターがいなくてもグループが1つになれば、どんな強敵も倒せることを証明できた。少年団の選手にも岡山から日本一になれるという夢を与えられたのなら最高です」と胸を張った。

 出場5度目での栄達は最近20年間では、第88回大会で初出場優勝した山梨学院(山梨)、ともに出場2度目で頂点に立った第84回の野洲(滋賀)と第86回の流通経済大柏(千葉)に次ぐ最短記録だ。さらにこの20大会での初優勝校は、これで12校目となった。これも地域間の実力差がなくなったことの証左ではないか。

 岡山県はおとぎ話の桃太郎にきび団子、マスカットに加え、おらが街の自慢がまた1つ増えた。

(河野 正 / Tadashi Kawano)



page1 page2

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング