“幸せだった”青森山田での29年間 黒田総監督が涙の別れ、正木監督も「笑顔で送り出したかった」
これまで歩んできた青森山田との高校サッカー人生を振り返る
黒田剛総監督が、涙ながらに青森山田(青森)での29年間を振り返った。
青森山田は1月4日に等々力で行われた第101回全国高校サッカー選手権大会準々決勝で神村学園(鹿児島)と対戦。前半34分にMF中山竜之介のゴールで先制したが、後半に神村学園に2失点して逆転負け。これが青森山田での黒田総監督のラストゲームとなった。
青森山田での29年間(コーチ1年/監督29年)を尋ねられた黒田総監督は、「そうですね、一言では難しいんですけどね」と口にして、しみじみとこれまでの歩みを振り返った。
まず口をついてできたのは「まさかこんな強い青森山田になると思って始まった私の監督生活ではないので」という言葉。それに続き「地域もそうですし、学校もそうですし、または教え子たちとか、いろんな関係者に支えられながら、気づけば、中高で選手も330人居ますし、18人から始めたのが嘘のような、すごく大きい組織になってね」と感慨深げだった。
また「全国のサッカーファンにも、いろんな夢や感動を与えられるぐらいのチームに成長したということは、すごく私にとっても幸せなことです」と口にしている。
そんな黒田総監督にとって高校サッカーとは何だったのか。
「我々スタッフも、いっぱい成長させてもらった」と口にして、選手権という大舞台を高校生とともに経験したことに感謝して「自分自身もこういう経験ができたからこそ、人の痛みもわかるようになったし。負ける悔しさとか、そこから学ぶことも覚えたし。すごく成長させてもらった高校サッカーだったなと思います」と振り返っている。
ただそれにしても離任の寂しさは涙として出てくるとのことで「離れるのはね、考えれば考えるほど涙しか出ませんけど」と瞳に涙を浮かべる黒田総監督ではあったが、その一方でJリーグ町田ゼルビアの監督への転身というこの決断について「後悔はないので」と言い切って次のステージで頑張りたいと次を見据えている。
「カテゴリーが変わっても勝利を目指してきたメンタリティ、取り組みっていうのは消えることはないと思います。また、違うステージで、頑張って結果を出したいと思います」
今後青森山田を率いていく正木昌宣監督は黒田総監督について聞かれると、少し言葉を詰まらせながら「笑顔で送り出したかった」と述べ「それが叶わなかったですけども」と悔しさをにじませていた。
そして黒田総監督が作ってきたものを引き継いで行きたいと力強かった。
「黒田総監督がいなくなっても、青森山田であり続けられるように。今いるスタッフと、これからの選手たちと、一緒に頑張っていきたいなと思います」
多くの実績を残し、たくさんの一流のプロサッカー選手を育ててきた黒田総監督が、高校サッカーでのキャリアを静かに終えた。
(江藤高志 / Takashi Eto)
江藤高志
えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。