「お父さんの言葉で戦えた」 初ベスト8の岡山学芸館、プロゴルファーの父親を持つ2年生GKが奮闘
2年生GK平塚仁がPK戦で1人目をストップ、選手権初のベスト8へ導く
2年生ながら岡山学芸館(岡山)のゴールを守るGK平塚仁がPK戦で大仕事をやってのけた。
「(PK戦は)少し怖さもありましたけど、1本目のキッカーが相手の注目選手10番で、自分もこれを止めたらチームが勢いをつくんだろうなと思いました」
1月2日に行われた第101回全国高校サッカー選手権大会3回戦の駒沢会場は、2試合目の岡山学芸館対國學院久我山(東京A)の一戦はスコアレスのまま決着が付かず、PK戦となっていた。
PK戦の先攻は岡山学芸館。1人目のMF岡本温叶が成功し、続く國學院久我山の1人目は、エースでキャプテンのFW塩貝健人だった。
その塩貝について、岡山学芸館の守備陣は80分間手を焼いており苦しめられていた。そんな塩貝のPKを止めることができればチームメイトは盛り上がる。そう考えた平塚は、事前に決めていた方向に思い切りよく飛ぶことでこのPKをセーブ。大会前のPK戦練習の成果が出た形だった。
岡山学芸館の高原良明監督は「大会の1週間前ぐらいから2日前までは必ずPK練習して、とにかく自分のコースにいいスピード感で球が蹴れるようにということは、トレーニングの中でやっています」と説明。また平塚は、思い切りの良いセービングについて次のように明かしている。
「チームメイトなんでどっちかに蹴るっていうのはずっとやっていたら分かってしまうんですけど、やっぱり(飛ぶ)方向が当たったら、絶対(にボールを手に)当ててやるという意味では、思い切って飛ぶように練習しています」
結局、岡山学芸館は5人全員が成功。大会1週間前から始めているというPK戦の練習を結果に結び付け、5-4で國學院久我山を下した。
ちなみに平塚のお父さんはプロゴルファーの平塚哲二さんで、大会前にもらったアドバイスを胸に戦っていたのだという。
「自分がナイスプレーとか、ファインプレーをしている姿を想像して、自分のところにもっとボールが来いというのをイメージしてやれと言われました」
その結果、0-0で迎えた残り10分の恐れを振り払い強気で戦えたという。
「自分はメンタルが比較的弱いと思っているので。残り10分で点が動かなくて、次点が決まったらもう試合が決まってしまうような場面で、今までの自分では恐れていたんですけど。やっぱりそこでお父さんの言葉を思い出して、強気で戦えました」
選手権初のベスト8にまで辿り着いた岡山学芸館はさらに歴史を塗り替えることができるだろうか。1月4日に行われる準々決勝では、同じくPK戦で履正社(大阪)を下した佐野日大(栃木)との対戦が待っている。
(江藤高志 / Takashi Eto)
江藤高志
えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。