【W杯|この日この1枚】熱狂は終わり、センチメンタルな光景…市場の賑わいも徐々に“さざ波”へ

市場でサッカーに興じる少年【写真:徳原隆元(FOOTBALL ZONE特派)】
市場でサッカーに興じる少年【写真:徳原隆元(FOOTBALL ZONE特派)】

スークワキーフで見た少年の姿から日韓W杯を思う

 つわものどもが夢の跡、か。

 アルゼンチン代表とフランス代表が世界一の座を懸けて戦ったカタール・ワールドカップ(W杯)決勝。スター選手が競演し、激しい点の取り合いからPK戦までもつれ込む激闘は、リオネル・メッシ率いるアルゼンチンの勝利で幕を閉じた。おそらくこの激闘は、今後ワールドカップの歴史のなかでも名勝負として語り継がれていくことだろう。

 大会が終了してから2日が経過した。12月に入り過ごしやすい気候となったドーハの街を歩いてみると、驚くほど時間に正確だったメディアシャトルバスがまだ往来している。しかし、利用する報道陣はもはや少ないからか、バスは見るからに軽々と走行している。あまり人は乗っていないようだ。

 街に飾られていたフラッグもひと纏めにされて道路の端に片付けられている。ファンフェスティバル会場も施設の撤収が進んでいた。テレビでも大会終了後の定番である総集編やゴール特集が放送されている。熱狂の時間は終わり、やはりどこかセンチメンタルにさせる光景が目に付く。

 しかし、例外もある。大会期間中から夜のスポーツ番組の中継地となり、多くのサポーターが押し寄せていた、土産店やレストランが立ち並ぶスークワキーフ(市場)に行ってみると、まだ混雑が続いていた。しかし、行き交う人々のなかには見るからに仕事を終えた報道陣や試合観戦に来た観光客といった風が目に付く。おそらくこの賑わいの大波も、もう少し時間が経てばさざ波へと変わるのではないだろうか。

 そのスークワキーフの広場でブラジル代表のネイマールのシャツを着てサッカーに興じる少年がいた。こうした光景を見ることができるのもW杯開催が影響していることは間違いない。

 話は遡るが、2002年日韓大会の時、韓国の地で取材をする際にお世話になった韓国人の方がいた。この方は日本語に堪能で大のサッカー好き。しかも奥さんも日本語を話され、一度自宅に招かれたこともあった。その際に自分の国(韓国)でW杯が開催されるなんてとても考えられなかったし、夢のようだと話されていた。

 まったくの同感だった。確かに1970年生まれの身としては、子供のころには日本がW杯という世界一を決定する大会に参加できるとはまったく思っていなかった。しかし、日本でもプロサッカーリーグが誕生し、サッカーの強化が本格化すると世界最高峰の大会への参加は現実的になり、実際に出場していくことになる。

 日本でもサッカーは人気スポーツに昇華し、多くの人が感心を持つようになった。それはW杯開催が大きく影響していると思う。

 スターたちがピッチで創り出した本物のプレーを目の当たりにし、サッカーに興味を持つ人が増える。スークワキーフで見かけた少年は、数々の名場面が生まれたW杯への感懐が行動として表れたに違いない。

 報道陣の目線から言うと、今回はコンパクトに纏められた大会として移動の負担が少なく、多くの試合を取材することができた。そうした点でも今回のW杯は例外的な大会だったと語られていくだろう。次のW杯はうってかわってアメリカ、カナダ、メキシコの共同開催となり、広大な北アメリカが舞台となる。3か国による開催は初の試みとなるが、果たしてどんな大会となるのか。

 ただ、これだけは言える。人々を熱狂させる時間は、確実に4年後にやってくる。

(FOOTBALL ZONE特派・徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)

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FOOTBALL ZONE特派・徳原隆元 / Takamoto Tokuhara

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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