【W杯】伝説的な存在メッシが生んだ団結力、人々の願いによって支えられた新しい英雄
【識者コラム】チームの象徴となったメッシ、語り継がれるストーリーが完成
終わってみればリオネル・メッシ(アルゼンチン代表)のワールドカップ(W杯)だった。
決勝のスコアは3-3、公式記録としてはドロー扱いでフランスも敗者とは言えない。ハットトリックで大会得点王となったキリアン・ムバッペ(フランス代表)はメッシに負けない大活躍だった。ただ、サッカーのレジェンドが唯一欠けていたタイトルを手にしたことで長く語り継がれるストーリーが完成したわけだ。
実際、優勝したアルゼンチンはメッシに抜きには語れない。卓越したプレーもそうだが、ここまでチームの象徴となったプレーヤーは過去にはいない。
1986年大会で優勝した時のディエゴ・マラドーナ(元アルゼンチン代表)は伝説である。イングランド戦の5人抜きのゴールもそうだが、マラドーナが特別なのはむしろ「神の手」のゴールによってだろう。ハンドによるインチキなゴールなのだが、欧州的な価値が世界に押し付けられていくと同時に貧富の差が顕在化し、社会的な分断が進むなかでの「神の手」は、南米流の反逆という側面を持っていた。90年大会でもマラドーナはナポリを代表する南側の立場で、やはり反逆の象徴となっていた。
1970年大会で自身とブラジルの3度目の優勝を成し遂げ、ジュール・リメ杯を引退させたペレ(元ブラジル代表)も伝説だ。1人でチームを牽引し、社会的な使命まで背負わされていたマラドーナと比べると、ペレは軽々と世界を獲っている。チームメイトにも恵まれ、攻撃的で華やかなブラジルサッカーの象徴だった。
しかし、その時のペレは29歳。マラドーナは86年が26歳、90年でも30歳だった。カタール大会のメッシは35歳である。この差は結構大きい。
ペレとマラドーナは紛れもない攻撃の大エースであり、その能力でチームを引っ張り上げていった。過去3大会のメッシもそうだった。ただ、今回のメッシは1人のプレーヤーという範疇を超えていて、メッシのためにアルゼンチン代表がある状態といっていい。チーム全体がメッシのために、メッシにW杯を獲らせるために団結していた。これは誰に強要されたわけでもなく、自然とそうなっていったのだと思う。メッシを見て、憧れて、サッカーを始めた世代が同じチームにいるのだ。もはや伝説的な存在であり、アルゼンチン代表とメッシをイコールと捉えている若い選手たちにとって、メッシを勝たせるのと代表が優勝するのに大きな違いはないわけだ。
こういうケースはW杯では初めてだろう。過去にも40歳前後でプレーした選手はいて、古くは西ドイツ代表のフリッツ・バルターがそうだったし、カメルーン代表のロジェ・ミラもそうだ。ただ、その年齢でなお力を維持していて、フルタイムでプレーしたのはメッシしかいない。ミラはすでに引退していたところを大統領の要請でW杯メンバーに入り、スーパーサブとして活躍したがカメルーンの象徴というわけではなかった。
メッシはマラドーナのような社会的な文脈での象徴ではなく、アルゼンチンのシンボルとして全員に押し立てられていた。メッシに優勝してほしいというのは、アルゼンチンのみならず多くのサッカーファンの願いでもあっただろう。チームのリーダーという枠にとどまらず、人々の願いによって支えられた英雄という点で、これまでにない存在だったのではないか。
(西部謙司 / Kenji Nishibe)
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。