【W杯】元選手の“批判的解説”を巡る是非 フライブルク監督が指摘「あってはならないことだ」
【ドイツ発コラム】健全な批判は大事だが、サッカー界への配慮があってこそ
ワールドカップ(W杯)はピッチの上だけではなく、解説者にとっても戦いだ。数多くの試合を各国が放送するわけだが、担当する試合で、誰が、いつ、どのシーンについて、どのようにコメントし、分析し、指摘するのかに、ファンは注目する。
納得のいく分析ができているのか。サッカーへの愛を感じさせてくれるのか。状況を正しく理解しているのか。言葉遣いにシンパシーを感じさせるものがあるのか。
解説で起用される人物は、自分の視点や解釈、表現で自身の価値を証明しなければ、次の仕事につながらないので、一生懸命に取り組む。そこにも確かな競争があるのは望ましいことだし、そうしたなかで解説者のレベルも上がってくる。
ただ、どんな競争でもそうだが、健全さから離れすぎてしまうとそれをポジティブに見るのは難しくなる。
ドイツのメディアでもさまざまな元代表選手が、口々に自身の考えを口にしているが、そこに選手やチーム、あるいはドイツサッカー界への配慮がなければ、その発言の意図は届かない。互いに敵対する関係ではなく、同志としての思慮あるコメントこそが、感情的になりがちなサッカーファンへの大事なメッセージではないのだろうか。
批判的なコメントは厳しく事象を観察していると本人も、視聴者も勘違いしがちだ。そして、批判的であることがいいことのような雰囲気さえも出てきてしまう。もちろん、健全な批判は大切だ。状況を正しく認識したうえでの指摘であれば、成長に向けて欠かせない材料になる。言論の自由だってある。でも、一線を越えてはならない。
日本代表MF堂安律が所属するフライブルクのクリスティアン・シュトライヒ監督が、そんな解説という仕事に対して、苦言を呈していた。
「テレビに専門家として出てくるコメントとしては、いくつかまったく受け入れられないものもあった。自分自身、ほんの数年前までプロサッカー選手としてプレーをしていて、その当時は外からのそうした批判に激しく嫌な思いをしてきた人たちが、専門家として座り、思ったことを口にしていく。あってはならないことだと思うのだ」
シュトライヒ監督はW杯の試合を観戦するが、試合後すぐにテレビのスイッチを消しているという。
「一度、消さずに見ていたことがあるが、今後はまたすぐにスイッチを消すだろう。CMを見る必要はないし、研修を受けていないコメントを聞く必要もない」
これは、深く考えさせられる話だ。
解説としてテレビやラジオで、あるいはYouTubeでコメントをするということの意味を正しく考える必要があるのかもしれない。伝えるべきこと、伝えるべきではないこと。何を、どのように伝えるのか。なぜ伝える必要があるのか。そのことを、学ぶ機会を持つことが大切なのかもしれない。何を言ってもいいわけではないのだから。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。