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稀代の“名手”が挑む“名将”への道 レアルを復活させたジダン監督が抱く「クラブ世界一」の野望
英雄が指揮官として、FIFAクラブワールドカップの舞台に帰還
かつてピッチに君臨したスター選手が、指揮官としても成功を収める――。
古くはヨハン・クライフ氏やフランツ・ベッケンバウアー氏、近年では今季からマンチェスター・シティを率いるジョゼップ・グアルディオラ監督らがその輝かしい経歴を刻んでいるが、レアル・マドリードを率いるジネディーヌ・ジダン監督も“名選手にして名将”への歩みを進めつつある。
ジダン監督は現役時代、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)で母国を初優勝に導いて一気にスターダムに上り詰めると、01年にユベントスからレアル・マドリードへと新天地を求めた。当時のレアルは剛腕フロレンティーノ・ペレス会長の第1期で“銀河系軍団”完成を目論んでおり、前線にはジダンのほかにFWラウール・ゴンザレス、MFルイス・フィーゴ、DFロベルト・カルロスら各ポジションに世界的なスターを配置する煌びやかさを誇った。
そのチームを率いたビセンテ・デルボスケ監督はジダンがトップ下に入りつつ、フィーゴが右サイドに張る独特の4-4-2システムを編み出した。そのチームでジダンは、2001-02シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝レバークーゼン戦(2-1)では伝説のスーパーボレーを叩き込んでビッグイヤー獲得に導くなど、“白い巨人”のレジェンドとして燦然と輝く実績を残した
その後06年ドイツW杯限りで引退したジダン氏だったが、09年に会長職に復帰したペレス氏の要望もあり、アドバイザーという形でクラブに戻った。それ以降はスポーツディレクターを経て、カルロ・アンチェロッティ元監督の下でアシスタントコーチや、「カスティージャ」と呼ばれるBチームの指揮を執るなど、帝王学を注入されて将来的な指揮官就任にも期待が集まっていた。