J史上6人目の金字塔達成もあくまで通過点… 浦和主将が見据えるタイトル奪取への思い
「若い時は未熟な感じだった」
若き日の阿部は、高い技術を持つもののケガの多い選手というイメージが付きまとった。自身も「若い時は未熟な感じだったんで、だからケガも多かった。だから、まだ全然ダメだったと思う。やるたびにケガしていたから。トレーニングでしっかりやることによって、体が鍛えられてきた」と、着実に積み上げてきたものの成果が今につながっていると話した。
試合が終われば浦和のトレーニング施設でケアをしてから帰宅するなど、小さいことを積み重ねながら万全のコンディションを維持するための努力を重ねている。今ではJ1での連続フル出場を124試合に伸ばすほどに、大きな負傷をしない強靭な肉体を手に入れた。
試合後にはミハイロ・ペトロヴィッチ監督から、記念の花束を渡された。“ミシャ”の愛称で慕う指揮官は、阿部が12年に浦和への復帰を決断した大きな要因になっている。
「レッズにイギリスに行って戻ってきたのは、ミシャ監督とやりたかったというのがあったので。やっぱり一緒に戦ってきて、監督をまだ何も喜ばせていないと思うので、なんとか監督が喜ぶような結果を出したいと思う。それもモチベーションの一つですね」