青山敏弘にとって「夢のまた夢」だったW杯 “アクセント”を目指したブラジル大会の舞台裏
主力組の「プランAの完成度は本当に高かった」
14年6月2日、日本代表はアメリカでコスタリカと対戦。W杯出場国との戦いとなったこの試合に青山は先発する。ハーフタイムで交代したが、「ずっとフィーリングが良くて、本田圭佑に出したラストパスもすごく良かった」と、自身のプレーに対してさらに自信をつけていた。
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続く6月6日のザンビア戦。2点を先に取られたが逆転し、このまま勝利かと思った後半44分、同点に追いつかれた。その直後、ザッケローニ監督は遠藤保仁(現ジュビロ磐田)に代えて青山を投入する。
キックオフ。ボールを受けた青山は自陣から一気に裏へとロングパス。鋭いボールに反応した大久保嘉人が見事なシュートを決めて日本代表は4-3と勝利を掴んだ。
ただ、青山に手応えはなかった。自分のプレーに対してというよりは、チームについてだ。
「コスタリカ戦もザンビア戦も、攻撃的なサッカーはできていたけれど、チームとしてはバタバタしている感じでした。2試合とも失点していますからね」
ただ、ブラジルに入ったあともチームには決してネガティブな雰囲気はなかったという。
「みんな自信を持っていましたからね。前年のヨーロッパ遠征では(オランダやベルギーと戦って)結果を出していた。直前2試合も、失点したとはいえ、勝っていたから」
もちろん、W杯直前ということで「主力」と「サブ」は明確に分かれていた。そして青山はサブ組。その立ち位置も彼は分かっていた。
「コアというか、今までの主力組が先発でいって、(サブ組である)自分たちがアクセントになればいいとは思っていました。まあ、微妙と言えば微妙な立ち位置でしたけど、僕らには僕らの武器があるし、プラスアルファの色を出せるように準備はしていましたから。実際、戦術的にはしっかりと確立されていましたし、それをより高いレベルで表現できる選手が試合には出ていた。いわゆる『Aプラン』の完成度は、本当に高かった」
(文中敬称略)
(後編に続く)
[プロフィール]
青山敏弘(あおやま・としひろ)/1986年2月22日生まれ、岡山県出身。作陽高―広島。J1通算436試合20得点、J2通算36試合4得点、日本代表通算12試合1得点。広島一筋19年を誇るハート&ソウルにして、卓越したパスセンスと闘争心を併せ持つ熟練のボランチ。ファンサービスの神対応も広く知られ、同僚から絶大な信頼を得るとともに、多くの人々から愛される。ワールドカップには2014年のブラジル大会に出場した。
(中野和也 / Kazuya Nakano)
中野和也
なかの・かずや/1962年生まれ、長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート中国支社・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集、求人広告の作成などに関わる。1994年からフリー、翌95年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。著作に『サンフレッチェ情熱史』『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ともにソル・メディア)。