今回のメンバー選考でかすんだアギーレ監督の「哲学」 問われる日本サッカーの方向性
指揮官と日本協会は明確なビジョンを共有できているのか
今月5日に国際親善試合のメンバー発表があり、MFの遠藤、長谷部、今野がW杯以来の代表復帰を遂げた。この2試合は来年1月にオーストラリアで開催されるアジア杯前最後のテスト期間となる。ここにきて、アギーレは自らの哲学に沿わない方針をとった。
確かに、遠藤と今野がG大阪躍進の原動力になっているのは事実であり、長谷部もコンディションが戻りつつある。しかし、将来性を見据えたチーム作りというコンセプトに反していないと言い切れるだろうか。このタイミングで彼らの力を借りるのであれば、なぜブラジル戦を、現時点でのベストメンバーのパフォーマンスを確認する場としなかったのか。
先ほども記したが、ブラジルのような世界最高峰のチームと対戦するチャンスは、そう多くはない。ブラジルからすれば、“2軍”のメンバーを起用してきた格下のチームからの勝利など、何も得るものはないだろう。スーパースターが欧州から貴重な時間を割いてわざわざ集ったにも関わらず、日本の不可解な采配に対して、印象悪く捉えられてしまっても致し方ない。実際、ブラジル人選手から日本の試合に挑む姿勢に疑問を呈するかのような声も聞こえてきた。
それでも日本はブラジルという雲の上の存在と戦うことで、圧倒的なレベルの差を痛感できた。この経験をチームの力へと変換することができる舞台として、アジア杯というのは非常に適したコンペティションだといえるだろう。しかし、ここで今までの財産に頼り切ってしまえば、あの貴重なブラジル戦大敗の意味合いがかき消えてしまう恐れもある。
もしアギーレ監督自身が日本代表を率いるにあたり、いまだ自らの哲学や信念を固め切れておらず、方向性がぶれてしまうようなら、哲学が曖昧な監督を抜擢した協会側にも問題があると言わざるを得ない。今後のビジョン、選手の選考基準など、念入りに擦り合せ、互いに共有した上で契約を結んだのではなかったのか。
この記事において、まだ一度も「アギーレ・ジャパン」というワードを引用していない。その名を呼ぶにふさわしい瞬間は、監督、選手、そして日本が同じ「哲学」のもと、前へと突き進むための一歩を踏み出した、その時である。
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サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE web
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images