「ミトマをベタ褒めしたよ」 ブライトン三笘に大喝采、サッカー発祥国で異例の注目度…英国での“リアル評”とは
先発の機会とフォーメーション変更の巡り合わせに恵まれた三笘
このリバプール戦の形が理想だと思った。トロサールを中央に置き、左サイドの最前線で三笘がプレーする形だ。それが唐突に、怪我明けのチェルシー戦で実現したことは驚きに値した。
三笘は千載一遇のチャンスで前半5分、トロサールの先制点を早速アシストした。早い時間帯のゴールで勢い付いたブライトンは、強豪チェルシーに4-1と大勝。無論、ホームだったことにも助けられたが、三笘は前半だけで3点を奪ったブライトンの左サイドで躍動し、怪我明けながら78分間プレー。デ・ゼルビ監督の期待に見事に応えた。
ところが試合後に聞いた話によると、4-2-3-1の舞台裏にはブライトンで1トップのレギュラーを張る元イングランド代表FWダニー・ウェルベックの体調不良があったそうだ。加えて、三笘の右足の痛みはまだ完全に消えてはいなかったという。
しかし、「せっかくもらったチャンスを潰すわけにはいかないので、そこはもう切り替えて、(痛みは)なるべく考えないようにしていました」と三笘本人が試合直後に語ったとおり、怪我を全く感じさせない全力プレーで初先発のチャンスをものにした。
思い切ったフォーメーションの変更が苦肉の策だったとはいえ、突如訪れた先発の機会だけでなくフォーメーション変更の巡り合わせには、これまでの日本人選手には見られなかった並々ならぬ“幸運”も感じた。
例えば香川。アレックス・ファーガソン監督が、ドルトムントで香川が見せたロベルト・レバンドフスキとのコンビネーションをマンチェスター・ユナイテッドでウェイン・ルーニーと再現させようと考えて獲得した。
ところが香川がレッド・デビルズに加入した2012年の夏、前年のプレミア得点王であるロビン・ファン・ペルシーが獲得可能となった。当時まさに全盛期の真っ只中にいたオランダ代表FWの大ファンだったファーガソン監督がこの話に飛びつき、速攻で獲得。その結果、香川は左サイドに押し出されて、なかなか本領が発揮できない試合が続いた。
そして翌年、香川に惚れ込み、日本代表MFの能力をどうにかしてプレミアで開花させたいと考えていたファーガソン監督が突如勇退した。後継者のデイビッド・モイーズ監督は4-4-2のフラットな中盤の左サイドで香川を起用。左SBとの連携で守備の負担も大きいポジションを強いられたことで、ドイツでトップ下として類い稀な技術を見せて輝いた香川の良さはあっという間にしぼんだ。
また、岡崎はレスターが優勝したシーズン、突如ゴールを量産し始めたジェイミー・バーディーの露払い的な役割に自ら身を投じることに。最前線から相手の最終ラインと中盤に献身的なプレスをかけて先発レギュラーの座を確保した。
けれども2019年にレスターを去った。残り少なくなった現役生活をストライカーとして純粋にゴールを目指すサッカーがしたかったからだ。
さらには南野拓実。プレミア初優勝に突き進む強いリバプールにシーズン半ばに放り込まれて、先発はおろかサブとしても全く定着しなかった。また、半年遅れで加入したポルトガル代表FWディエゴ・ジョタがいきなり結果を出し続けたことで、チーム内の序列が下がったことも不運だったと言える。
こうして3人の日本人アタッカーのプレミアにおける境遇を振り返ると、三笘に惚れ込み、三笘も「この監督なら」とブライトン移籍を決意したポッター監督が去った時、筆者は一抹の不安に襲われた。新監督となったデ・ゼルビ監督は当初、「ほかにも良い選手がいる」と言って、三笘の先発をはぐらかした。また香川のように日本人選手が監督交代の犠牲になるかも知れないと嫌な予感がしたのだ。
ところが、三笘はウェルベックの体調不良でチャンスを掴み、チェルシー戦ではデ・ゼルビ監督に4-1という忘れがたい初勝利をプレゼントした。
この日、三笘の出待ちをしていた筆者が、会見を終えたデ・ゼルビ監督とすれ違った際、「見事な初勝利でした。おめでとうございます」と声をかけると、43歳のイタリア人青年監督は「ミトマ、イェイ!」と笑顔で応じ、親指を立てたサムアップのジェスチャーで応じてくれた。
三笘の活躍が新監督にしっかりアピールとして伝わったことが分かるやり取りだった。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。