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中田英寿は「ピッチ外では優しかった」 “職人”明神智和が明かす日韓W杯の舞台裏
【2002年日韓W杯戦記|明神智和】自分たちがまるでアイドルのように報じられるフィーバーぶりに驚愕
カタール・ワールドカップ(W杯)が11月20日に開幕する。森保一監督率いる日本代表はグループリーグでドイツ代表、コスタリカ代表、スペイン代表と同グループとなり、“死の組”とも言われる厳しい状況のなか、史上初の大会ベスト8入りを目指す。
7大会連続となる世界の大舞台。これまで多くの代表選手が涙を流し、苦しみから這い上がり、笑顔を掴み取って懸命に築き上げてきた日本の歴史だ。「FOOTBALL ZONE」では、カタール大会に向けて不定期企画「W杯戦記」を展開し、これまでの舞台を経験した人物たちにそれぞれの大会を振り返ってもらう。2002年の日韓W杯で計3試合に先発出場した明神智和(ガンバ大阪ユースコーチ)が、自国開催の思い出を紐解く。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史)
◇ ◇ ◇
21世紀最初のW杯となった日韓W杯は、ヨーロッパと南北アメリカ以外で初めての開催、アジア初開催、初の2か国共催となった。イングランド代表MFデイビッド・ベッカム、ブラジル代表FWロナウド&FWロナウジーニョ、ドイツ代表GKオリバー・カーンらスター選手が大会を彩り、日本と韓国で繰り広げられた熱い戦いに、観る者は熱狂した。あまりのフィーバーぶりに、明神は驚きを隠せなかったという。
「自国開催のW杯メンバーに入り、大会を戦えたことが本当に名誉であり、誇りに思います。(日本代表が滞在した)ホテルは隔離されていてすごく静かで、選手としてはありがたい環境を作っていただきました。ただ、いざテレビをつけてみると、朝やお昼のニュースで自分たちのことがまるでアイドルになったかのように報じられていて(苦笑)。落ち着いた環境とは対照的に、日本国内が盛り上がってフィーバーしていた印象が強いです」
日韓大会は、当時イタリア1部パルマでプレーしていた中田英寿、オランダ1部フェイエノールトで輝きを放った小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)、イングランド1部アーセナルにレンタル移籍していた稲本潤一(現・南葛SC)と、日本サッカー界を牽引する華やかなタレントがいた。なかでも、1歳年上の中田はカリスマ的存在であり、良き兄貴分でもあったと回想する。
「ピッチ内で言えば、ヒデさんはまず自分に一番厳しい人。だからこそ、『ここに出してくれ』『もっと強いパスをくれ』と、人にも高い要求をする。当時、世界基準を持っていたのはヒデさんら数人だけ。ヒデさんがセリエAで活躍していて、日常の練習をこれほどの意識とインテンシティー(強さ)でやらなければいけないのか、と。自分に厳しくしている姿を見ると、『俺らもやらなきゃいけない』と思いましたし、口で言うわけではないですけど、練習からヒデさんが示し続けてくれていたんだとあとから気付きました。
でも、ヒデさんはピッチを離れると優しかったです(笑)。ヒデさんはマツさん(故・松田直樹)とか(1995年の)ワールドユースを戦った世代、僕は(2000年の)シドニーオリンピックを戦ったヤナギ(柳沢敦)や黄金世代のイナ(稲本)と中田浩二、それにアレックス(三都主アレサンドロ)とかはよく一緒にいましたけど、食事会場や練習場へ行く時にサッカーだけでなくたわいもない話をして、よく全体を見ているなと思いました。僕とはそこまで年齢の差はなくて、お兄さんみたいな感じでした」