中村俊輔の“新たな出発点” W杯落選で失意のレフティーが飛躍、カメラマンの目に焼き付いた2つの試合
ブラジル人指揮官のもとで飛躍、代表チームで確固たる地位を築く
そして、もう1つ印象に残っているのが日本代表の一員としてプレーした試合だ。日本代表は現実路線を突き進んだフランス人に代わって、サッカーに高い芸術性を求めるブラジル人のジーコが指揮官に就任したことによって、新たな鼓動が芽生え始めていた。
10月16日、ジーコ率いる日本代表は国立競技場を舞台にジャマイカとの一戦を迎える。注目は言うまでもなく中盤。初采配を振るうジーコは満を持して前任者が日韓大会の舞台で実現させることができなかった、才能豊かな4人(中田英寿、中村、小野伸二、稲本潤一)を同時にピッチへと送り出すのだった。
ジーコは現役時代に自らが中心選手としてプレーした、歴代のセレソンのなかでも傑作の1つとしてブラジルサッカー史に燦然と輝くチームを、自らが指揮するチームに投影し、その夢の集合体の再現を試みた。1982年イタリアW杯で輝きを放ったジーコを中心とするブラジル黄金のカルテットと、ジャマイカ戦で先発メンバーに名を連ねた日本の中盤4選手は、20年の時を経て合致することになる。
82年のブラジル代表において、チームの精神的支柱であるキャプテンをソクラテスが務めた。日本代表でジーコがそのタスクを託したのが、攻守をリードする絶対的な存在の中田英寿だった。
ブラジル的テクニックと欧州的体力を兼ね備えたオールラウンダーのパウロ・ロベルト・ファルカンは、抜群のテクニックを武器にゲームの流れを巧みに読み、展開力に優れた小野伸二を重ね合わせることができる。
中盤の後方で攻守のつなぎ役を務めるトニーニョ・セレーゾはファイターの稲本潤一が一致した。
そして、ゲームメイクを担い、フリーキックのスペシャリストでもあった、エースナンバー10を背負ったジーコ自身には中村が符合した。
結果から言えば、世界を相手に選手の個人技術を重視し、武器とした日本サッカーにおけるジーコのドラスティックな方針は成功したとは言い難い。しかし、中村にとっては前任者のフランス人監督によるW杯メンバー選外という存在価値が失われかけた状況を、ブラジル人指揮官が一変させたことによってその後、代表チームで確固たる地位を築いていくのだった。
ゴール裏から中村を見てきたカメラマンの目線から言っても、世界への挑戦と代表チームで信頼を勝ち取る、彼にとって新たな出発点となったこの2試合は、やはり忘れがたいシーンとして記憶に残っている。
ただ、こうした中村への思い出は彼を語るうえで、限りなくある一面に過ぎない。日本サッカーのトップシーンを全力で走り抜けた、中村の思い出はファンそれぞれが持っているに違いない。あなたの心のなかにある、ここに翼を休めた日本屈指のフットボーラーのお気に入りの試合やシーンはどんなものになるのだろうか。
(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。