怒りと不信感…“悪夢”のW杯韓国戦 元スペイン代表レジェンドMFが激白「何をやっても勝つのは不可能という感覚だった」
準々決勝の韓国戦は「試合全体を見れば勝ち抜けができていたと思う」
――その準々決勝の前、韓国に敗れていたイタリア代表のFWフランチェスコ・トッティが「スペインは韓国より審判を気にしていなければならない」とコメントし、GKジャンルイジ・ブッフォンも同様の発言をしていた。
「プロ選手は、いつも審判が試合結果に影響を与えるような偏った判断をしているとは考えていない。だがイタリアと韓国の試合を見た時におかしなことがいくつかあった。確かに韓国はフース・ヒディンク監督の下、凄まじい激しさがあって、集中力が高く、持続性があり、しっかりと整備されたチームだった。それに自分たちの国で地元ファンの後押しがあり、彼らにプラスアルファの力を与えていた。それでも我々は自信を持って試合に臨み、試合全体を見ればPK戦へ進む前に勝ち抜けができていたと思う。試合の中でとんでもない判定がいくつかあって、それが我々にとって不利に働いた。入っているべき2点が取り消され、何をやっても勝つのは不可能という感覚だった。PKで敗退が決まったあと、怒りや無力さが我々の抗議行動になった。準決勝へ行くべき道が奪われたという感じだった」
――自身も韓国戦の後半、フリーキック(FK)からヘディングシュートを決めたが、ファールがあったとしてゴールが認められなかった。
「あの時は信じられなかった。なぜ笛を吹かれたのか説明はなかったからね。正当な形でジャンプし、頭でコースを変え、ボールは相手選手に当たったが、問題のないゴールだった。その時自分のユニフォームは(引っ張られ)完全に破れていた。反則があったとすれば、相手選手による私へのファールということになるだろうが、ボールはゴールに入っていた。その瞬間に突然、審判が手を挙げて反対(スペイン側)の反則とした。大きなものを賭けた舞台で考えられないことだったよ」
――最も象徴的なシーンが延長戦に入ってからのFWフェルナンド・モリエンテスの正当なゴールが取り消されたシーン。当時の線審は2010年に自身のミスを認める発言をしたが、このニュースをどう受け取った?
「もう遅いよ、と。あの時、我々にとっては準決勝へ進む絶好のチャンスだった。目標を達成するという希望が奪われた。試合の時、判定に関して何かおかしなことが起こっているという感覚があった。現在の新しいテクノロジーがあれば、あの時のシーンは起こっていなかったというのははっきりしている」
――あの韓国戦から20年、今何か言うとすれば?
「大きなチャンスを奪われたと思う。我々はピッチの上で韓国相手にいい試合をし、単に審判による判断だけでスペインは準々決勝の精神的な壁を越えることができなかったんだ」
※第3回に続く
[プロフィール]
ルベン・バラハ(Ruben BARAJA)/1975年7月11日生まれ、スペイン出身。バジャドリードB―バジャドリード―アトレティコ・マドリードB―アトレティコ・マドリード―バレンシア。ラ・リーガ通算338試合47ゴール(公式戦通算581試合98ゴール)。スペイン代表通算43試合7ゴール。現役時代は、高精度のキックと卓越した展開力に加え、高い守備力も兼ね備えたMFとして活躍。バレンシア時代には、31年ぶりのリーグタイトルを含めリーグ優勝2回、UEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)優勝1回、コパ・デル・レイ(国王杯)優勝1回に貢献した。2002年日韓W杯に出場するも準々決勝の韓国戦でPK戦の末に敗退。2010年に現役引退後、エルチェ、ラージョ・バジェカーノ、スポルティング・ヒホン、テネリフェ、レアル・サラゴサなどで監督を歴任した。
島田 徹
1971年、山口市出身。地元紙記者を経て2001年渡西。04年からスペイン・マジョルカ在住。スポーツ紙通信員のほか、写真記者としてスペインリーグやスポーツ紙「マルカ」に写真提供、ウェブサイトの翻訳など、スペインサッカーに関わる仕事を行っている。