農家転身の元Jリーガー西澤代志也が明かす浦和の衝撃 忘れられないJ2時代の「猛抗議」“紳士協定破り弾”と劇的ドラマ
引退を決意「いい加減な気持ちでいたら、チームやサポーターに失礼」
栃木での忘れられない試合の1つが13年9月15日、ホームでのコンサドーレ札幌戦だ。「仲間が負傷したのでボールを外に出したら、相手がスローインのボールを返さず、その流れから後半43分に同点にされました。選手もベンチも観客も猛抗議ですよ」と語気を荒げて状況説明。今年9月3日のJ1アビスパ福岡対名古屋グランパス戦と同じ“紳士協定破り”のゴールだった。
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「嫌な雰囲気だったけど、加入1年目のクリスティアーノがアディショナルタイムに決勝ゴールを決め、スタンドは割れんばかりの盛り上がりでした」と笑みをこぼした。この勝利でチームは波に乗り、最終節まで7勝2分1敗と破竹の勢いで進撃した。
18年はJ2でプレーし、このシーズンで契約満了。現役続行か引退か迷い、元浦和の近藤徹志ら3人の親友に相談した末、沖縄SVへの転籍を決めた。浦和で同僚だった高原が創設した九州リーグ所属クラブで、数年前から誘われていたのだ。
“J5”に位置するが、カテゴリーなど問題ではなかったそうだ。
「引退も考えた身なので、サッカーができる喜びのほうが大きかった。スクールコーチも兼務していたから、親子で観戦に訪れてくれることがモチベーションになり、熱心なサポーターを見ているとカテゴリーなんて関係ないなって感じました」
沖縄でも怪我に泣いた。1年目の9月に右足内転筋を断裂し、復帰までに13か月要した。それでも現役最終年の昨季、また栃木時代の札幌戦のような劇的な試合に立ち会う。
昨年9月19日の最終節は、首位ヴェロスクロノス都農(宮崎)と2位沖縄の上位決戦で、沖縄が逆転優勝するには勝利しかなかった。西澤はボランチで先発。終了間際の後半41分に追い付いた沖縄は、アディショナルタイムに決勝点を奪い、亜流の脚本家では描けないドラマを演じてみせた。
「内転筋の手術をしてから、イメージとプレーが全然リンクしなくて、去年の5月に引退を決めました。最終戦では“これがラストマッチだ”と自分に言い聞かせながらプレーしていたんです。引退は誰にも告げていなかったので、勝って号泣していたらみんなが驚いていました」
キャリアを終えたもう1つの理由が、ピッチに立てなくてもベンチに入れなくても、悔しさがこみ上げてこなくなったからだ。「そんないい加減な気持ちでいたら、チームやサポーターに失礼じゃないですか」ときっぱり。苦労を重ねた分、西澤は本物のプロへ脱皮していたのだ。
(文中敬称略)
[プロフィール]
西澤代志也(にしざわ・よしや)/1987年6月13日生まれ、埼玉県出身。浦和レッズユース―浦和レッズ―ザスパ草津―栃木SC―沖縄SV。J1リーグ通算7試合0得点。J2通算99試合0得点。J3通算43試合1得点。右サイドバックで長年プレー。2006年、浦和ユースから同期の堤俊輔、小池純輝とともにトップ昇格を果たす。草津、栃木を経て、19年から沖縄SVに在籍し、21年シーズンを最後に引退。
(河野 正 / Tadashi Kawano)
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。