農家転身の元Jリーガー西澤代志也が明かす浦和の衝撃 忘れられないJ2時代の「猛抗議」“紳士協定破り弾”と劇的ドラマ
フィンケ監督時代にJリーグデビュー、細貝萌とのパス交換からプロ初得点
09年にフォルカー・フィンケ監督が就任すると、若手を次々に登用した。西澤のベンチ入りも格段に増え、第15節のヴィッセル神戸戦でJリーグデビューを飾り、ここから6戦連続出場。第17節のサンフレッチェ広島戦では初めて先発で起用された。
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ナビスコ杯でも初戦から6試合連続出場し、第3節からは4戦続けて先発に名を連ね、右サイドバック(SB)で先発したアルビレックス新潟戦でプロ初得点を挙げた。前半28分、ペトロ・ジュニオールのボールを奪って持ち上がり、細貝萌とのパス交換から左足で豪快な先制弾を蹴り込んだ。ジャンプしたあとにガッツポーズを作って大喜び。これが浦和での、J1チームでの唯一の得点となった。
本当は右足で打つ予定だったそうだ。「萌のパスの回転がすごくて、右に置くつもりがトラップミスして左にこぼれ、左足で打つしかなかった」と笑い、「あの頃からスピードや強度に慣れ、トップでもやっていける手応えを掴みました」と回想する。
ところが翌年は開幕前から故障が絶えず、6月のオーストリア合宿は高原直泰とともに浦和に残って調整。7月7日にJ2栃木SCとの練習試合があり、栃木のほか視察したJ2ザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)が西澤を高く評価し、揃って獲得を申し出たが、先に誘ってくれた草津への期限付き移籍を決める。
7月17日に追加登録されると、すぐに右SBやボランチで主力となったが、加入直後からグロインペイン症候群に苦しみ続ける。「毎日トレーナーに何時間も治療してもらい、激痛でもやり続けた」。浦和の恵まれた環境とは違い、練習場のピッチは驚くほど硬かったそうだ。
11年はJ2昇格3年目の栃木から再度誘われて完全移籍。16年のプロ生活で最長となる8シーズン在籍したが、肉離れをはじめ筋肉系の怪我を重ね「満足に働けたのはJ3に降格した1年目だけなんです」と顔を曇らせた。この16年は主に右SBで23試合、1728分出場。翌年も20試合で1345分ピッチに立ち、ブラウブリッツ秋田に次ぐ2位でJ2復帰を果たした。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。