農家転身の元Jリーガー西澤代志也が明かす浦和の衝撃 忘れられないJ2時代の「猛抗議」“紳士協定破り弾”と劇的ドラマ
【元プロサッカー選手の転身録】西澤代志也(浦和、草津、栃木、沖縄)後編:栄華を極めた浦和へ加入、プロ生活がスタート
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
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今回の「転身録」は、浦和レッズユースで育ち、浦和、ザスパ草津、(現・ザスパクサツ群馬)、栃木SC、沖縄SVを渡り歩いた西澤代志也だ。右サイドバックで長年プレーした西澤は引退後、農家に転身。2021年シーズン限りでスパイクを脱いだなか、現役当時を振り返った。(取材・文=河野 正)
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小学6年生の西澤は、浦和レッズジュニアユースの選考会に挑戦したが、あえなく1次試験で落選し、埼玉県入間市の自宅から近い狭山ジュニアユースFCで腕を磨いた。すると今度は浦和から声が掛かり、ユースチーム加入が決まる。
中学卒業間近の2003年3月、ユースの練習に参加すると、隣りのグラウンドではトップチームの選手がボールを蹴っていた。山田暢久、永井雄一郎、田中達也、坪井慶介……。「すごい選手がたくさんいて、ここに入れたらいいな」と憧れていた少年は3年後、同期の堤俊輔、小池純輝とともにトップチームへの昇格を果たす。ユースの同級生にはこのほか、ともにFC岐阜の小松裕志社長と宇賀神友弥もいた。
西澤が加入した06年はチームが初のJリーグ王者に輝き、Jリーグ最優秀選手と得点王も生んだ最盛期にあたる。前年度は天皇杯で初優勝し、翌年には日本勢としてアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で初の頂点に立つなど、栄華を極めた時期でもあった。
「最高水準の選手がズラリ顔を揃えていましたからね。周りが上手すぎて、自分とどのくらいの実力差があるのか全然分からなかった」
公式戦出場は加入3年間でわずか2試合。リーグ戦は10試合でベンチ入りしたが出番はなく、ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)は6試合に帯同し、3年目に途中出場が2度あっただけだ。「あの豪華メンバーでは、出られなくても諦め半分という1、2年目でした。でもデビューしてプロというものを肌で感じてからは、このままじゃ駄目だって意識が変わりました」と振り返る。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。