“野人”岡野雅行の忘れられない一撃 フランスW杯出場へ導いたゴールが生まれた理由「僕は見捨てられるな、と思った」

「気付いたこと何?」「フィジカルだよね」 ヒデと語り合った本大会で痛感した“差”

 実際、出場したW杯では世界との壁を痛感した。「夢のようだった」という強豪との対戦。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと戦って3敗。だが、いずれも1点差だった。それでも、その差はとてつもなく大きかったという。

「慎重な戦いを日本もした。1対1では勝てないから3人で形を作っていこう、と。戦えたとは思うけど、ちょっとの差がある。でも、そのちょっとの差が大きくて。やっぱり海外の選手の凄さはここぞという時のスイッチ。ここはゴール取れるなという時に前にかけるスイッチ。ここ危ないなと思った時のゴールマウスの前の1歩2歩の足の出し方。あとは、経験しないと分からなかったフィジカル。いくらドリブルやテクニックがあっても腕で止められたら何もできない。動かない。W杯で初めて経験して、それからみんな世界に出て行った。初めてアルゼンチンなんかとガチンコでやって、ヒデともすぐ『気付いたこと何?』と話したけど、2人で『フィジカルだよね』と。そこで海外に行きたいと思った」

 24年前、日本サッカーの歴史が動いた年。それまでの道のりは壮絶なものだった。多くの仲間の涙、怒り、何にも代えられない経験を糧に掴み取った世界への切符。今では当たり前となっているW杯出場や海外挑戦だが、その過程を忘れることなく、日本サッカーはこれからも発展し続けなければいけない。

(文中敬称略)

[プロフィール]
岡野雅行(おかの・まさゆき)/1972年生まれ、神奈川県出身。当時、サッカー部がなかった松江日本大学高校(現・立正大淞南高)で、部を作り上げて最高成績は島根県3位。日本大学へ進学し、3年で中退して1994年に浦和レッズ入りを果たした。1年目からリーグ35試合3ゴールという成績を残し、01年にはヴィッセル神戸へ期限付き移籍。3年プレーして、04年に浦和へ復帰した。天水圍飛馬を経て09年からガイナーレ鳥取に所属。13年シーズン限りで現役を引退した。日本代表としては95年に初選出。国際Aマッチ通算25試合2ゴールを記録した。

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