広島はなぜ“9度目の正直”でタイトルを獲得できたのか 優勝を呼んだスキッベ監督の哲学とクラブの“絶妙な相性”
スキッベ監督自身、選手の個性に合わせて方向性を柔軟にアジャスト
スキッベ監督は優勝決定後に広島に戻る車中の中、記念Tシャツをずっと着続けていた。そして、新幹線の中や広島駅でも、サポーターの祝福を受け、交流を楽しんだという。
「ようやくカップが獲れた。そういう歴史的なことも考えて、シャツを着たまま、戻ってきたんです。サポーターと直接交流ができたし、すごく心地よく迎えてもらえて嬉しかった。2週連続のファイナルは大きな重圧。ただ、それでも最後にタイトルを獲れたということで、広島は歴史的な呪縛も解き放たれた」
スキッベ監督は実は、ギリシャ代表監督時代には、今とは全く違ったスタイルでチームをマネジメントしていたという。これまで監督のスタイルは一定で、どんなチームであってもそのスタイルを変えないと思っていた。だが彼は違う。選手たちの個性に合わせ、彼らの力が100%、引き出せるような方向性を打ち出し、実行していく。
リーグ・天皇杯・ルヴァンカップ、3大大会ですべて上位を確保し、広島に初のカップ戦タイトルをもたらしたのは、ミヒャエル・スキッベという指導者が持つ引き出しの多さと柔軟性、そして何よりも対戦相手にも常に敬意を表し、歓喜の時も相手を気遣える人間性が、広島というクラブに合っていた。だからこそ、これからの広島の未来に、明るい希望を感じるのである。
中野和也
なかの・かずや/1962年生まれ、長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート中国支社・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集、求人広告の作成などに関わる。1994年からフリー、翌95年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。著作に『サンフレッチェ情熱史』『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ともにソル・メディア)。