広島はなぜ“9度目の正直”でタイトルを獲得できたのか 優勝を呼んだスキッベ監督の哲学とクラブの“絶妙な相性”
対戦相手のことではなく、自分たちのことだけにフォーカス
トレーニングの内容もいつもどおり。常に自分たちにベクトルを向けることを優先し、相手に対する対策は最小限。このやり方も、広島には合っていた。生真面目な選手たちは、相手の情報や対策に気をとられ、本来の自分たちが持っている強みよりも、そちらを優先しがちになる。このチームに必要なのは、自分たちのストロングを見つめ続け、「やればできる」という自信を身に付けることだった。その事実にスキッベ監督はいち早く、気づいていた。
「大切なのは、自分たちのこと。相手のことではない」
日本にやってきた時から、スキッベ監督は常にそう語りかけてきた。例えば、ずっと続けているクロストレーニングにしても、まずはできていない現実を見せ、そして徹底的に継続して練習させ、できるようになったら称賛する。できない時の罰ゲームも自ら受け、選手と一緒になって課題に取り組むことで、一体感も醸成していった。
勝つためには、相手の弱点を突くのではなく、自分たちが強く、逞しくなればいい。それが基本方針だった。そしてその方針が、広島の生真面目さにピタリと合った。
常に自分たちに目を向けた練習によって野津田岳人や満田誠、川村拓夢、大迫敬介、松本泰志らが大きく成長。佐々木翔や塩谷司、野上結貴や柏好文といったベテラン勢も、最高のパフォーマンスを発揮し始めた。それが自信を生み、終盤の粘りの原動力となった。
その力を出せば、ルヴァンカップでは勝てる。だが、過去3度も苦杯を喫した広島戦の勝利に執念を燃やすセレッソ大阪の小菊昭雄監督は、したたかだった。前線からのプレスはリーグ戦や天皇杯の時よりも控えめにして広島を誘い込み、裏のスペースへのロングボールを増やしてラインを押し下げ、広島のビルドアップやハイプレスの力を削いだ。そして後半、佐々木翔から大迫敬介へのバックパスを狙っていた加藤睦次樹の素晴らしいゴールを生み出し、プランどおりに先制する。
その後も広島の得意とするワイドからの攻撃を封じ、クロスが入っても中を締めて弾き返した。徹底的に堅守速攻のスタイルを整え、攻撃は裏狙いに徹した。勝利だけを追求した彼らの前に、広島は膝を屈しそうになった。
だが、スキッベ監督はそれでも自分たちのスタイルを変えない。マテイ・ヨニッチ退場後も守備のバランスが崩れないC大阪に対し、ストロングであるサイドからの攻撃を繰り返した。工夫がないと感じた向きもあるだろう。だが、それでも徹底的に横から攻めたことで、相手から余裕を奪った。
後半アディショナルタイム3分、森島司のクロスを起点とした攻撃でコーナーキック(CK)を奪い、そこからPKに持ち込んで同点。同11分、満田のクロスからCKをとり、ピエロス・ソティリウがボレーで決めて逆転。歴史に残る大逆転でC大阪を破り、9度目のカップ戦決勝で初めて栄光を掴んだ。
試合後、選手たちと歓喜をともにするより先に小菊監督を抱きしめ、C大阪の選手たちのもとに行って握手を求めた指揮官は、恒例の円陣で最初にこう言った。
「C大阪が素晴らしかった。今日勝てたのはラッキーで、彼らのパフォーマンスは称賛に値する。そして小菊監督は素晴らしい」
そのうえで「みんな、ファンタスティックだった。最後まで信じ抜いたから逆転できた」と語りかけた。
中野和也
なかの・かずや/1962年生まれ、長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート中国支社・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集、求人広告の作成などに関わる。1994年からフリー、翌95年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。著作に『サンフレッチェ情熱史』『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ともにソル・メディア)。