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英雄ファン・バステンは「マドンナのような存在」 元ミランCEOが回想「メッシとロナウドと同じ数のバロンドールを獲れた」
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ガリアーニ氏はミラン時代に思い出に残る名手としてファン・バステン氏に言及
イタリア1部ACミラン時代に政治力を駆使して移籍市場で存在感を発揮したアドリアーノ・ガリアーニ氏は、現在は昇格組のモンツァで強化責任者を務めている。イタリアでスポーツチャンネル「DAZN」のインタビューに応じ、元オランダ代表FWマルコ・ファン・バステン氏について「メッシとロナウドと同じ数のバロンドールを獲れた」と回想している。
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ガリアーニ氏は、ミラン時代に元イタリア首相シルビオ・ベルルスコーニ氏が会長を務めるその側近として辣腕を振るった。中継局がベルルスコーニ氏を抜くと、常にその横に鎮座したスキンヘッドの強化責任者は政治力を駆使して移籍市場を牛耳った。現場介入をライフワークとするワンマン会長と、「様子を見てみよう」を口癖に最後まで本音を明かさない強化責任者のタッグはイタリアの名物とも言えた。
その両者は資金的な問題もあってミランを手放したが、現在はミランの本拠地ミラノの郊外にあるモンツァで再タッグを組み、セリエAまで昇格してきた。今回のインタビューでは、ガリアーニ氏がミラン時代の思い出に残る名手としてファン・バステン氏の名前を挙げている。
「ACミランには8人のバロンドール受賞者がいるが、マルコ・ファン・バステンは私の心に深く残る。バロンドールを3回しか受賞できなかったのは、足首の故障で28歳にして引退を余儀なくされたからで、もし続けていれば(アルゼンチン代表FW)リオネル・メッシや(ポルトガル代表FW)クリスティアーノ・ロナウドと同じ数だけ受賞できただろう。今でも彼を見ていると、跪いてしまう。そんな唯一の選手だ。彼は笑うが、私にとって彼はマドンナのような存在だ。私にとっては、ミランやモンツァを見てきた選手たちの中で最強プレーヤーだよ」
ファン・バステン氏は1988年、1989年、1992年の3回にわたってバロンドールを受賞している。当時のACミランでは、MFルート・フリット、DFフランク・ライカールトとともに「オランダトリオ」として名を馳せた。1988年はEURO(欧州選手権)でオランダ代表を優勝に導いた直後の受賞で、ソビエト連邦(当時)との決勝戦で決めたボレーシュートは現在でもベストゴール企画の際にノミネートされるほどだ。
ガリアーニ氏はファン・バステン氏を28歳で引退とコメントしているが、それは1992-93シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝で負傷したゲームが現役ラストゲームとなったため。記録としては30歳になっていた1995-96シーズンの直前に引退を表明している。
メッシは史上最多の7回、ロナウドは5回のバロンドールを受賞しているが、彼らの前に最多受賞回数タイだったのがファン・バステン氏を含む3回だった。トップレベルのサッカーから一線を引くことを余儀なくされた年齢を考慮すれば、たしかにファン・バステン氏はメッシやロナウドにとってより高い壁となって立ちはだかっていたのかもしれない。
(FOOTBALL ZONE編集部)