中村俊輔は「永遠のサッカー小僧」 元番記者が見た生きざま、思い描かれていた「引退後」の景色
際立った「サッカーが好き」「うまくなりたい」の思い 俊輔のマインド、行動を回想
J2横浜FCの元日本代表MF中村俊輔が10月18日、今季限りで現役を引退することを発表した。横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)を皮切りに、国内外で活躍し、ファンを熱くさせてきたレフティー。テクニシャン、ファンタジスタで「天才」と称されたが、「フィジカルが足りない」と指摘され、エリートコースから外れた時期もある。それでも、数々の壁を乗り越えて来られたのは、「サッカーが好き」「うまくなりたい」の思いがあったから。新聞社で担当記者だった筆者が、俊輔のマインド、行動、語っていた「引退後」を紹介する。(文=柳田通斉)
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44歳のサッカー小僧が、ついにスパイクを脱ぐ。寝ても覚めてもサッカーのことを考え、「うまくなる」ために行動してきたが、今後は「うまくさせる」ことに徹していく。
筆者は日刊スポーツ新聞社のサッカー担当記者として、トルシエ・ジャパン時代から俊輔を取材した。2001年シーズンからは横浜FMの番記者となり、連日、横浜市内の専用グラウンドに通った。
人見知りで警戒心の強い俊輔は、なかなか心を開いてくれなかった。しかし、質問がツボにはまると、途端に多弁になり、車に乗ったまま時間を忘れて話すことがあった。次第に雑談もできる関係になり、ある日、「昼寝で夢を見たんだけど、何か俺、すごいことになっていた」と話しかけてきた。
「どんなことに?」と問うと、「すごい場所でやっていたんだよ」と返してきた。それ以上、具体的なことは言わなかったが、海外移籍を熱望していた時期。「夢の中でもボールを蹴っているのか」と驚かされた。
2002年日韓ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーに落選し、横浜からセリエAのレッジーナに移籍。キャンプに同行取材し、毎朝、宿舎からグラウンドまでの500メートルを俊輔、通訳と3人で歩いた。朝食が「一番避けてきた甘い菓子パン」であることを愚痴りつつ、「夢でACミランとやっていた。もうすぐ、それが現実になる」とレギュラー獲りに目を輝かせた。