天皇杯初優勝の甲府、大ベテラン山本英臣が激闘の中で見せた“異なる2つの顔”
PKを献上してしまった山本が仲間の助けを経て歓喜の輪へ
振り返れば甲府の準決勝・鹿島アントラーズ戦の戦いぶりは、チームとして見事に相手を術中にハメた完璧な勝利であった。鹿島は試合会場がホームスタジアムとなったことが戦う姿勢に強く影響したのか、なんとしても甲府の牙城を攻め落とそうと攻撃に重きを置いた前がかりなサッカーを展開した。そこを甲府はタイトなマークで封じ、カウンターからゴールを奪い強豪との戦いに競り勝ったのだった。
天皇杯3回戦から4試合連続でJ1勢を次々と撃破し、決勝まで進出してきた甲府は、天皇杯に関して言えば侮れないチームへと仕上がっていったのだ。そして決勝でも見事に勝利を収めることになる。
チームのベースは決勝の試合前の練習でエドゥアルド・マンシャ、浦上仁騎、須貝英大のDF陣が、広島の攻撃を想定したスタッフが蹴るボールに、ラインを崩さないように意識しながらクリアをするプレーを繰り返していたように、ピッチに立つ選手全員が持つ守備への高い共通意識にある。
ただ、試合巧者の広島は会場が中立の日産スタジアムで、さらにタイトルが懸かった決勝ということもあってか、試合の主導権を握りながらも攻め急ぐことをしなかった。甲府の罠には易々とハマりはしないという思慮深さが伺えた。
しかし、そこを逆に甲府は強い攻めの姿勢を見せて対応する。ボールを奪ってからの素早いカウンター攻撃は、前線への一気のパスだけでなく、ドリブルも活用され広島ゴールへとアグレッシブに迫った。カメラのファインダーに捉える広島守備網の攻略に挑む山田陸や鳥海芳樹、さらにDFの須貝らは積極的にドリブルを活用し、そのプレーからは得点への思いが強く感じられた。堅実な守備に加え、大舞台でも臆することなく、少ないチャンスをなんとしてもモノにしようとする攻撃面での積極的な姿勢が天皇杯獲得につながったと言える。
劣勢となる試合を攻と守の勝負どころを見抜き、上手く融合させることによって勝利した甲府。そのなかで最も異なる2つの顔を見せたのは、長年にわたってチームを支えてきた背番号4だったのかもしれない。サポーターへと向かう彼にカメラの広角レンズを向ける。PK献上の際に浮かべた落胆する表情とは違い、表彰式で天皇杯を掲げた時よりは控えめで、そして安堵も含んだ最高の笑顔を山本は見せてくれた。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。