【検証】森保ジャパンの「4年間」(1)・戦術プラン W杯本大会で成功?失敗?…賛否両論の背景にあった“独自手法”は奏功するか
【識者コラム】森保ジャパンの「4年間」を検証、戦術的なプランを振り返る
森保一監督率いる日本代表の集大成となるカタール・ワールドカップ(W杯)本大会が、刻一刻と迫りつつある。2018年のチーム発足当初こそ国際Aマッチで連勝を重ねたが、W杯アジア最終予選では苦戦を強いられるなど、紆余曲折の道のりだった。そんな4年間を振り返るべく、ここでは戦術プランに焦点を当て、改めて森保ジャパンを検証する。
2018年の就任当初、森保一監督が提示した戦術的なコンセプトは実にシンプルだった。大まかに言えば高い位置からボールを奪いに行き、攻守の切り替えを素早く、臨機応変に戦う。メディアやサポーター向けだけでなく、本当にそうだったのだと思う。
半年前から東京五輪世代のチームを率いており、森保監督が3度のリーグタイトルを獲得したサンフレッチェ広島で採用していた3バックをメインに使っていた。そのためA代表でも、そのまま3バックを試していくという声も多かったが、実際はロシアW杯で西野朗前監督が用いた4-2-3-1を継承した。
そこには招集メンバーがすぐに理解して、合わせてやすいという理由があり、戦術的な意図はあまり見えなかったのが正直なところだ。それでも高い位置からプレスをかけて、ボールを奪ったらあまり中盤で時間を使わずゴールを目指していく基本的なベクトルは初采配となったコスタリカ戦(3-0)から見られた。
本来は初陣となるはずだった札幌でのチリ戦が地震の影響でなくなり、大阪のコスタリカ戦からスタートしたが、当初のメンバーは下記の通りだった。
GK:東口順昭
DF:室屋成、三浦弦太、槙野智章、佐々木翔
MF:遠藤航、青山敏弘、堂安律、南野拓実、中島翔哉
FW:小林悠
途中出場:天野純、車屋紳太郎、三竿健人、浅野拓磨、伊東純也
改めて振り返ると、大きく変わってきたことに気づくが、2列目のメンバー構成にボールを持ったら縦に仕掛けていくという森保監督の方向性は表れていた。この時期の象徴的な選手は左サイドハーフのMF中島翔哉だったが、MF南野拓実やMF堂安律も積極的にゴールを目指す姿勢を押し出していた。
そうした勢いを持って挑んだ翌年のアジアカップ、森保監督の狙いがハマる試合とハマらない試合で内容も結果も大きく変わった。DF長友佑都が「スーパーゲーム」と自画自賛した準決勝のイラン戦がまさしくハマった試合で、フィジカル的な強さを押し出すアジアの雄に対して引くことなく、3-0の勝利を飾った。この試合でDF冨安健洋が相手エースFWサルダル・アズムンを封じるなど獅子奮迅の活躍で、センターバックの主力に定着していくきっかけとなる試合だった。
しかし、決勝のカタール戦では相手の可変性の高いビルドアップに手を焼いて、前からプレスがハマらずにずるずると守備を下げさせられて、1-3で優勝を逃した。この試合を機に、攻守の切り替えやデュエルだけでなく、立ち位置でアドバンテージを取る、取らせないことの重要性を森保監督も強調するようになっていく。
そうした課題に向き合いながらW杯アジア2次予選を首位で突破した森保ジャパンは最終予選で、オマーンの日本対策に躓き、チームコンディションもなかなか揃わないなかで、サウジアラビアにもアウェーで敗れて窮地に追い込まれた。
コロナ禍で、ホテル内でも十分なコミュニケーションが取れないなどの事情もあったかもしれないが、森保監督の指示も明確さを欠き、選手間の意志がバラバラになってしまっていたのが大きい。アジアカップで学んだはずの、プレスがハマらない時の対応も上手くいかないなかで、森保監督はホームのオーストラリア戦で大きな決断をした。
河治良幸
かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。