内田篤人、代表続行の決断の裏側 「このまま終われば、何か負け犬のような気がする」
尊敬する小笠原から送られたメッセージ「おまえはそこで待っていろ」
都内から1時間半を運転して、ようやく鹿島に着いた。自分から切り出すつもりはなかった。間違っているという意見があれば、これまでもそうだったように誰かが必ず伝えてくれる。
笑顔で迎えてくれた仲間たちからは「引退発言」について何も意見されることはなかった。「W杯お疲れさん」「元気か」「けがは大丈夫か」と労をねぎらう言葉をかけられた。その後は食事を共にし、たわいもない会話をして別れた。
鹿島を訪れてから1週間が経ったころ。そのときはプライベートな話しかしなかった小笠原満男から、知人を通じて伝言が届いた。内田が「サッカーで一番尊敬する選手の1人」として目標にする先輩の言葉は、ぶっきらぼうの中にも愛が込められたものだった。そして、迷いを断ち切るものでもあった。
「俺もこの年(35歳)だけど、まだ代表を目指しているんだから、おまえはそこで待っていろ。何も言わずに待ってればいい。もう一回、俺も一緒のチームでやりたいからさ。それができるのは代表だと思うから。これからも何も考えずにしっかりやって、待っていろよ」
背中を押された気がした。
「一度そう(引退発言を)言うことで、自分を追い込むことができると思って、ああいう発言をしたということもある。だって、次に引退するかもしれないと言ったら、もう後戻りが利かないから次はなくなるし、今回決めたことが最後の決断になる。そうやって自分を追い込んだら、いくらコンディションが整わなかろうが、いろいろ思おうが、やるしかなくなる」
続けて、こうも言った。
「やるしかないんよね、きっと。やり続けるしかない。それが自分のためになることは、一番よく分かっているつもりだからさ。でも、こうやって考える時間をつくるのは、なかなかない機会だし、悪いことだとは思わない」
南アフリカ大会では、岡田武史監督が大会直前に守備的な戦術に舵を切ったため、攻撃が持ち味の内田はピッチに立てなかった。この4年、さまざまな葛藤があった中で代表活動を続けられたのは、その悔しさとW杯でプレーするという目標があったからに他ならない。
「どんな戦術、どんな監督になっても、先発11人に選ばれる選手になる。チームには多少コンディションが悪くても、代えの利かない選手が必ずいる。そういう選手になりたいと思って、ずっとやってきた」
報われたのがコートジボワール戦。試合前に日本国歌が流れると、思わず涙した。挫折を味わった4年前。この日のためにドイツで努力を積んできた。大会直前に負った右膝裏の腱損傷では、医療スタッフの献身的な尽力を受け、このピッチに立つことができた。ようやくたどり着いた気持ちと感謝の気持ち。この4年で抱いた全ての思いが重なり合い、戦い抜く決意の涙を流したのだった。
そうして向かった初めてのピッチ。想像していたようで、実は想像していなかった光景が飛び込んできた。
「この4年間ドイツに行ってやってきた。W杯がどういう大会なのかと思ったけど、大会が違うだけでした。意外と普通のサッカーだった。11人対11人で、ボールは1個。自分もやれたんだ。今はそういうふうに思えている。海外に行って、いろいろな経験をドイツで積んだから。
サッカーはチームスポーツだから結果が出なければ、それまでの努力は報われない。勝負事だし、勝ち負けがあるものだから、しょうがない。報われるのは優勝したチームだけだし、そういう世界で生き続けてきた自分もそうだけど、報われる努力は少ないと思っているから、しょうがない。ただ、自分としては普通にできたと思っている」
普通のサッカー。それは決して期待はずれという意味ではない。仮に未知の世界が広がっていたなら、まだまだ努力をしなければいけない。そうなれば、極論ドイツで4年間取り組んできたことは間違いだった、大きく軌道修正しなければいけない、という感触になる。だが、実際には方向性は間違っていなかったということが確認できたのだ。