文武両道を貫いた東大初の元Jリーガー、夢は叶わずも「おもしろいキャリア」と振り返る訳
【元プロサッカー選手の転身録】久木田紳吾(岡山、松本、群馬)前編:東大に進学して芽生えたサッカー選手への思い
たゆまぬ努力を重ねた先で、ほんの一握りだけがなることを許されるプロサッカー選手。そんな厳しい競争の世界に東京大学卒業生として初めて歩を進めたのが、久木田紳吾(33歳)だ。2011年にJ2ファジアーノ岡山に入団し、J2松本山雅FC、J3ザスパクサツ群馬でプレーを経て、2019年に現役を引退。その後、SAP(エス・エー・ピー)ジャパンに就職した。文武両道を貫き通し、プロの世界までたどり着いたこれまでのキャリアを振り返ってもらった。(取材・文=石川遼)
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熊本県出身の久木田は小学3年生でサッカーを始め、中学時代はクラブチームの熊本YMCAに所属。県選抜にも選ばれる実力者だった。しかし、FC東京やジュビロ磐田のユースチームと対戦した際にMF吉本一謙(当時FC東京U-15に所属)といった選手とのレベルの差を感じ、そこでサッカー人初の挫折を味わった。
高校では進学校として知られる熊本高校へ。サッカー強豪校として知られる大津高校やルーテル学院高校の壁に阻まれて県大会ではベスト8が最高成績に終わった。高校からプロへ進む道は考えず、「入学後の選択肢が多い」という理由から東大進学を決意する。
久木田は大学受験時に塾へは通わずに独学で部活との両立を果たし、東大に現役合格を決めている。子供の頃から時間への意識は人一倍強く、それが文武両道の秘訣だったという。
「小さい時から時間がもったいないって感覚を持っていて、時間の使い方はすごく意識していました。せっかちなんですよね(笑)。学校の授業と同じことを教わるなら塾に行く意味はないな、と。全く違うことを教えてくれて、それに価値があるのなら塾に行く意味もありますけど、1日24時間の中で同じことを聞くのはもったいないなって思ってしまったんです。これは親から教えられたわけではなくて、もともとの性格なんだと思います」
東大入学が決まると、改めて「サッカーを本気でやりたい」と考えた。それと同時に「その時点でもサッカー選手になるとは思っていなかった」という。当時は東大からプロ入りした選手の例はなく、東大とJリーグというものは結び付かなかった。
しかし、盲ろう者として世界で初めて常勤の大学教授となった福島智氏の「誰も挑戦したことのないことに挑戦することに価値がある」というスピーチを入学式で聞き、久木田の中に沸き上がってきたのはパイオニアとして新たな道を切り拓くことへの意欲だった。
「もちろんサッカー選手になりたいと思って東大を受験したわけじゃありません。最終的にサッカー選手になりたいと思ったのは大学に入ってからです。社会に出るのが近づいていた時に、改めてサッカーが好きという自分の思いに気づき、せっかくなら自分が一番好きなことを最初の職業にしたいと思ったんです。当時、東大からサッカー選手になった人は誰もいなかったので、自分がその“最初の人”になりたいという思いもありました。“東大初”というのはプレッシャーではなく、モチベーションになっていましたね」