今野泰幸が回想する南アフリカW杯と伝説の一言 エース降格の中村俊輔から学んだプロ意識、本田圭佑に感じた“野心”
台頭してきた本田と長友の野心に刺激
たとえ試合に出られなくとも、プロフェッショナルとしてチームのために動かなければいけないマインドは、本大会直前でレギュラーから外れた「10番」の中村俊輔(現・横浜FC)の姿勢からも刺激を受けたという。
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「シュン(中村俊輔)さんはW杯予選でエースとして戦ってきて、本大会前に外されたという悔しい思いはあったと思います。サブ組で一緒にやっていて、居残りでシュート練習もしていました。レギュラーじゃなくなったとしてもしっかり準備して、自分を高めるプロ意識の高さを教えてもらいました」
南アフリカW杯は、その後に日本代表の中心を担っていくことになる本田圭佑(当時23歳)や長友佑都(当時23歳/現・FC東京)といった若手が台頭した大会でもある。今野も2人がにじませる“ギラギラ感”をひしひしと感じていたと明かす。
「長友選手は当時若くて、先輩にはイジられながらも、サッカーに対してすごくピュアで、『世界一のサイドバックになるんだ』という気持ちをプンプン出していました。とにかく上手くなりたいという情熱は感じていたし、年上の僕らも刺激をもらって、いい影響を与えてくれたと思います。本田選手は、W杯予選ではそこまで中心的な選手ではなかったと思います。でも、その時から野心がだだ漏れでした(笑)。お互いにベンチだった時はよく話しました。本来、人当たりはいいけど、南アフリカ大会では一匹狼という感じ。『俺が日本を勝たせてもっと上のステージに行くぞ』という、少し近寄りがたいような雰囲気で集中して戦っていましたね」
岡田ジャパンは史上初のW杯ベスト8進出を目指した決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦、延長戦を含めた120分間で決着がつかずにPK戦に突入。後攻の日本は1人目の遠藤保仁、2人目の長谷部誠、4人目の本田圭佑が成功したが、3人目の駒野友一(現・FC今治)のシュートはクロスバーを叩いて失敗。パラグアイの5人全員にしっかり決められ、PK戦3-5で敗れた。今野は、「あの光景は今でも覚えています」と“最後の瞬間”について語る。
「パラグアイ戦はやっていて『行けるんじゃないか』というゲームだったからこそ、すごく悔しさは残ります。駒野さんは黙々としっかり準備するタイプで、どんな状況でも自分の100%を出す素晴らしい選手。(2004年のアテネ)オリンピックから一緒に戦ってきたし、W杯の舞台でもさすがだなと思うプレーをしていました。PKは世界トップクラスでも外す場合があるわけだから、駒野さんを責められない」