元JリーガーがNHKディレクター転身で番組作り 闘莉王“取材指令”で奮闘…「全く知らない世界」で感じた魅力とやりがい

「スポーツの無限の力を番組で伝えていきたい」と語る中川直樹氏が東京・渋谷の放送センター(本部)前で撮影【写真:河野正】
「スポーツの無限の力を番組で伝えていきたい」と語る中川直樹氏が東京・渋谷の放送センター(本部)前で撮影【写真:河野正】

【元プロサッカー選手の転身録】中川直樹(浦和)後編:引退後に大学進学、NHKで番組作りに腐心

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

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 今回の「転身録」は浦和レッズユースで育ち、その後に浦和のトップチームに昇格したDF中川直樹だ。浦和に2年間在籍し、20歳で現役引退後は早稲田大学へ入学。卒業後に日本放送協会(NHK)に就職し、現在は「公共放送という責任ある立場」で中堅ディレクターとして活動するなか、魅力とやりがいを感じていると明かしている。(取材・文=河野正)

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 2003年に浦和へ加入した中川直樹だが、2シーズン限りで契約満了となり20歳でサッカー界から身を引いた。逡巡した末に大学進学を決め、早稲田大学へ入学。卒業後の10年4月にNHKへ入社し、視聴者に訴えかける番組作りに腐心する毎日だ。

 中川は就職先について「業種へのこだわりはなく、マスコミ志望というわけでもなかった」と話した後、「好きなサッカーでさえ辛い思いをしましたから、どんな仕事でも楽しさや辛さはあると思っていました。NHKを受けたのは、スポーツ番組の制作や中継などスポーツに関わる仕事に魅力を感じていたからです」と動機を説明した。

 東京での研修後、5月の大型連休明けに初任地の名古屋放送局に赴任し、報道部に配属された。肩書はディレクターで、最近コンテンツクリエイターに呼称が変わった。

 この年の6、7月にサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会が開催され、同年に浦和から名古屋グランパスに移籍したDF田中マルクス闘莉王が、守備の要人として活躍し日本代表のベスト16入りに貢献。W杯が終わると上司から、至極当然の業務指令がきた。

「闘莉王とはレッズの頃から関係があるのだから、それを生かして取材してほしい」

 中川と闘莉王は04年の1シーズンだけ浦和で同僚だったが、「喋ったこともほとんどないし、仲が良かったわけでもない。闘莉王さんは当時、メディアの取材に応じていなかったのですが、取材交渉したら自分のことを覚えていて引き受けてくれたんです」と義理堅い男の快諾を嬉しそうに回顧した。

 名古屋が悲願のJリーグ初優勝を遂げたのもこの年で、再び闘莉王に密着取材。1年生テレビマンの中川は、6年ぶりに再会した闘莉王への取材を精力的にこなした。

 主な業務は報道番組の制作だ。名古屋放送局赴任当初は、愛知、岐阜、三重で放送する「おはよう東海」でのリポートをはじめ、総合テレビでは「おはよう日本」や「ニュースウオッチ9」で取り上げるレポートに携わった。

 12年のロンドン五輪は現地で中継を担当。体操女子団体で8位、個人総合11位と健闘した愛知県小牧市出身の寺本明日香の特集番組も制作するなど、入社3年ほどはスポーツ関連の仕事が多かったという。

視聴者に喜ばれる情報を提供するため、常にアンテナを張って世情に目配せする。「ニュースになるテーマをものにしないといけないので、興味を引くネタ探しはやはり大変ですね。私が入局した当時は、1年目から自分で番組を作るのが社の方針でした。そこそこ仕事がこなせるようになり、面白さが分かるまでに3、4年は掛かりましたね」。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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