元主審・家本政明氏が「鹿島×浦和」ジャッジ分析 気になった点を指摘…選手との間に生まれた“ギャップ”とは?

差し水になるコミュニケーションの重要性「ちょっとずつストレスを溜めていた」

「90分間、緊張感が抜けない試合でしたし、レフェリーも『難しいな、タフな試合だな』と思いながらベストを尽くすべく、持てる力を出し切っていたと思います」と、ジャッジが難しいゲームだったことを認める家本氏は、笠原主審が選手ともっとコミュニケーションを取るべきだったと指摘する。

「選手がレフェリーやその判定に対して不信感を抱いたり、興奮状態にある場合、選手をいかにマネジメントするかが重要になってきます。試合の中でそういったシーンが垣間見れた場合は無視して試合を続けるのではなく、いったん試合を止めて、選手に対して“差し水”になるようなコミュニケーションを取ったり、注意を与えたり、意図的に間を置く方がその後の試合運びが非常に楽になりますし、選手も自分のやるべきことに集中できるようになります。この試合でもそうした方が良いと思う機会が、少なくとも4、5回はあったと感じました。ここで”差し水“をしておけば、ガスが抜けるな、ゲームが落ち着くなという場面でも流していたので、選手たちはちょっとずつストレスを溜めていました。特に後半はそういうシーンが幾度となく見られて、選手がヒートアップして落ち着いてプレーに集中できない状況があったのは残念でした」と振り返った。

 そうした状況のなかでも、0-2から同点にした浦和に対して「追い付くメンタリティーは凄いなと思いました」と称賛し、「鹿島も勝ち切るチャンスはあったし、選手たちは素晴らしいプレーをして、見どころの多い試合でしたね。主審のマネジメントが上手くいけば、判定にストレスを感じずに、選手も、お客さんもよりフットボールを楽しめたのではないかなと個人的には感じました。笠原主審は、まだ年齢的にも、プロとしての実績も若い。今回、期待と成長も込めて、この試合が割り当てられたと思いますが、非常に多くの経験を積むことができたと思うので、今回の経験は今後に向けてプラスになるはずです」と、33歳のプロフェッショナルレフェリーの将来に期待を寄せていた。

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家本政明

いえもと・まさあき/1973年生まれ、広島県出身。同志社大学卒業後の96年にJリーグの京都パープルサンガ(現京都)に入社し、運営業務にも携わり、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を務め、05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)となった。10年に日本人初の英国ウェンブリー・スタジアムで試合を担当。J1通算338試合、J2通算176試合、J3通算2試合、リーグカップ通算62試合を担当。主審として国際試合100試合以上、Jリーグは歴代最多の516試合を担当。21年12月4日に行われたJ1第38節の横浜FM対川崎戦で勇退し、現在サッカーの魅力向上のため幅広く活動を行っている。

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