バットマンから「キャプテン」へ 宮本恒靖の再ブランディングについて

バットマンの陰に埋没していた主将というキャラクター   宮本へのプレゼンには、主軸が2つありました。   一つは、マネジメント面で新たなブランドイメージを植え付けること。彼は02年の日韓ワールドカップ(W杯)で”バットマン“としてブレイクしました。04年アジアカップでは、PK戦までもつれたヨルダン戦で劣勢をひっくり返す大仕事をやってのけるなど、キャプテンとして優勝に貢献しました。それなのに過去のイメージにとらわれたままの宮本恒靖がいました。つまり、高い知名度に反して、確固たるブランディングができていなかったのです。そこで、イメージを共有して体制を整えた上でブランド価値を高めようと提案しました。   彼と話し合いを重ねる中で、それまでバットマンの陰に埋没していたキャプテンというキャラクターを前面に打ち出す方向で意見が一致しました。選手のイメージはメディア先行でつくられるケースがほとんどなので、受け身では新たな印象を与えることは難しい。そこで、取材を受ける際に自分が語りたい話を盛り込めるよう、それぞれの媒体に積極的に働きかけました。   05年からは、どの取材でも”キャプテン“というキーワードを入れ込むように徹底しました。雑誌の連載やドキュメンタリー番組でも事前に自分たちからテーマを提案するなど、ブランディングを推し進めていきました。露出を増やさなければいけない段階では、より好みなどできませんが、宮本の知名度は十分に高かったので、彼の価値をより良いものにブラッシュアップしていくことに注力できました。   プレゼンの主軸のもう一つは、海外挑戦です。彼には03年にプレミアリーグのウエストハムへの移籍が実現しなかった過去がありました。私は再度、海外移籍に挑戦してほしいと考えました。なぜなら近い将来、多くの日本人がヨーロッパへと活躍の場を広げる時代が来ることを予測できたからです。   仮に宮本が指導者の道へと進んで日本代表監督を務めた場合、選手全員が海外にいるにも関わらず、彼が海外でプレーする苦しさや時差の問題を理解できなかったらどうでしょう。それは大きなハンディです。そうした未来を想定し、海外移籍を目指そうと働きかけました。   結果、05シーズンの途中にセリエAのトレビゾからオファーを受けました。しかし、Jリーグで優勝争いの渦中にいた彼は、ドイツW杯直前にリスクを冒すべきではないと判断し、その話を断っています。  

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