「留置場に連れて行かれた」 さすらいの39歳元Jリーガーが海外で直面した仰天の“容疑”

田島翔(左)とサンマリノ共和国代表の最多得点記録を持つペンナロッサのアンディ・セルヴァ監督【写真:本人提供】
田島翔(左)とサンマリノ共和国代表の最多得点記録を持つペンナロッサのアンディ・セルヴァ監督【写真:本人提供】

【インタビュー】コロナ禍の影響でCL予選出場の目標を断念

 現役時代に海外を転々としてきたサッカー選手は数多くいるが、今年7月にプロ雀士に転身した元Jリーガーの田島翔が歩んできたキャリアは異色だ。これまで8か国18チームでプレーしてきたなかで、印象的な出来事を訊いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史)

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 高校時代に無名だった田島が日本でプロサッカー選手になるには、さまざまな紆余曲折を経た。シンガポールへの留学を経て、2004年に当時Jリーグ入りを目指していたFC琉球(現J2)に入団。しかし、プレシーズンの練習試合で相手のタックルを食らって右足開放骨折の大怪我を負い、プレー再開まで1年半を要して、06年限りで契約満了となった。

 1年間の浪人生活、社会人クラブのノルブリッツ北海道所属を経て、クロアチア2部NKバルテクスへ移籍。その後、知人のツテでスペイン5部TSKロセスに入団テストを受けて加入したが、2年目のシーズン途中に日本で東日本大震災が起こり、「日本でプレーしたい」との思いが強まり、帰国して練習参加したロアッソ熊本と待望のプロ契約を結んだ。

 しかし、熊本では公式戦に1試合も出場することなく、1年で退団。フットサル転向を挟んで再びサッカー界に戻り、ニュージーランド1部オークランド・シティFC、アメリカ4部マイアミ・ユナイテッドFC、アメリカ3部(現2部)ラスベガス・シティFC、韓国3部ソウル・ユナイテッドFC、そして、日本人初のサンマリノ1部リーグ参戦でSSペンナロッサの一員としてUEFAチャンピオンズリーグ(CL)予選出場を目指した。

 今年3月に加入した神奈川3部・江の島FCを含めて、これまで8か国18チームに所属してきた田島は、「サッカーでいろんな国の文化を知るのが喜び。好奇心があって、いろんな国を転々としてきました」と自らのキャリアを振り返る。サンマリノでは、コロナ禍に見舞われて思うように活動できず、海外挑戦の継続を断念せざるを得なかった。

「ペンナロッサは、CL予選を狙えるくらいのチームでした。最後、ここでサッカー人生を終わろうと思っていたんですけど、ロックダウン(都市封鎖)や練習をできない期間が続いて、『サッカーをやるために海外に来ているのに、俺は何をしているんだろう……』って(苦笑)。海外はもうきついかなと思って、契約更新せずに日本へ帰ることにしました」

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