「光を照らしたい」 京川舞はどうバセドウ病と向き合ったのか、海外挑戦に込めた同じ闘病者への想い

闘病生活を経験し、強まった「今、海外に出たい」気持ち

 もっとも、運動を控え、ホルモンの分泌量を減らすために抗甲状腺薬を用いる薬物療法による闘病生活を乗り越えるのは、決して簡単ではなかった。これまで、左膝内側靱帯および半月板損傷、前十字靱帯断裂をはじめ、度重なる怪我を経験してきたが、「いつ治るか分からない」不安、サッカーをできないつらさと戦う日々。心の穴を埋めるべくほかのことに没頭しようとするが、逆に頭が混乱し、大好きだったサッカーを嫌いになりかけたほどだった。

「最初の2~3週間は外に出れず、1日がすごく長かったです。試合の映像を見たり、サッカー選手の本を読んだり、テレビを見たりしていたんですけど、逆に頭がパンパンになって(苦笑)。サッカーができないつらさを実感した時がきつかったです。それからは、午前中にチームの仕事を手伝って、午後に自分のトレーニングをして、チームのスカウティング映像を作るみたいな、忙しくも充実した生活を2か月くらいしていました。ほかの情報が入らないくらいの状態で家に帰って、何もせずに過ごす瞬間に、本当に頭がすっきりした感覚があったので、オンとオフが大事な理由も分かりましたね」

 京川自身、バセドウ病と診断されてから、どうすれば良くなるのか、手術をしたほうがいいのか、自分でも病気について調べたという。周囲とのやりとりでも、バセドウ病は日常生活においてはある程度認知されている一方で、スポーツの世界ではまだ理解が進んでいない部分があると感じたと話す。

「『自分の知人にも1人はバセドウ病の人がいる』というような話は聞いていて、病気自体を知っている方は多かったです。でも、スポーツの世界においては、チームを辞めてしまったり、干されてしまったり、ネガティブな噂も耳にしたことがあったので、まだまだ浸透していないなと感じました」

 それでも、多くの人々に助けられ、支えてもらい、2022年2月に約10か月ぶりにチーム練習に合流。紅白戦でゴールを決めて猛アピールし、4月のWEリーグ第17節AC長野パルセイロレディース戦(1-0)で約1年4カ月ぶりに公式戦のピッチに立った。リーグ戦では最終的に4試合に出場(うち先発1回、途中投入3回)し、INAC神戸のタイトル獲得を後押し。シーズン終了後の6月には、ドイツ女子1部1.FFCトゥルビネ・ポツダムへの完全移籍が決まった。

 復帰まで「長かった」と話す京川。闘病生活を経験した分、海外挑戦への思いは強くなったという。

「バセドウ病のこともあるから余計に、『今、海外に出たい』と思いました。チームメイト、監督、スタッフ、友人、いろんな人に助けてもらいながら、コロナ禍で自分をコントロールして、病気と向き合って、レベルアップして復帰できた。もしドイツで何かあっても、向き合えばトライできる、克服できるというマインド。どんなことがあっても絶対に乗り越えられる自信があります。海外で通用すると証明したいです」

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