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玉田圭司が語るドイツW杯ブラジル戦ゴールの真実 激しいぶつかり合いで深まった“黄金の中盤”との絆「大事な要素だった」
福西と中田が練習中にぶつかり合うことも…「なるほどな、と思うこともたくさんあった」
玉田自身もW杯本大会のメンバーに選出され、直前の合宿が始まった。「キャラクターが立っている人が多かった」ドイツ大会のメンバー。キャンプ中から主将の宮本恒靖を中心に選手ミーティングを開いて、1人1人の意見を言い合い、ぶつかることもあった。練習中には、福西と中田が激しい意見交換をし合うこともあり、玉田にとっては「なるほどな、と思うこともたくさんあった。大事な要素だった」と刺激的な日々に本大会へ向けての緊張感を高めていった。
そして、グループリーグ。1分1敗で迎えたブラジル戦。「2点差以上の勝利」が必要ななか、玉田に先発のチャンスが回ってきた。相手は「超一流」が揃うブラジル。そこで、あの先制弾が生まれた。
「あれは、自分的にはそこまで鮮明に覚えてはいなくて、感覚的に動いていた部分があった。ゲームに入り込んでいたんだと思うけど、まず、自分が得意としているのはゴール前に張り付いてゴールだけを狙うというタイプではない。得点シーンに関しては自分が下りて絡んでいるんだよね。ヒデさん(中田英寿)から縦パスが入って、イナさん(稲本)から落として、イナさんからアレックス(三都主)に。自分が前線に入り込んで、アレックスが溜めたところからスルーパスをもらうというシーンだったけど、まさしく自分が求めている部分だった。まず、自分で絡んでから、2列目3列目から飛び出すという。ディフェンス的には見づらくて、付きづらかったと思う」
中盤と自身が絡みつつ、強豪を翻弄してネットを揺らした。玉田自身、“黄金の中盤”への信頼度が高かったからこそ歴史的なゴールが刻まれた。
互いに意見をぶつけ合い、ピッチ内外でそれぞれの存在を認め高め合う。個性的なメンバーを率いた“神様”ジーコ監督は、日本代表メンバーを「ファミリー」と言い続けた。ファミリーと呼ぶにふさわしい確かな絆がそこにはあった。
(文中敬称略)
※2010年南アフリカW杯戦記に続く
[プロフィール]
玉田圭司(たまだ・けいじ)/1980年4月11日生まれ、千葉県出身。名門・習志野高校から99年に柏レイソルへ入団。プロ5年目で主力に定着し、2桁得点をマークした。2004年に日本代表へ初招集。名古屋グランパスへ移籍した06年にはドイツW杯へ出場し、第3戦ブラジル戦でゴールを決めた。10年南アフリカ大会でW杯2大会連続出場。国際Aマッチ通算72試合16得点を記録した。セレッソ大阪、V・ファーレン長崎にも所属し、Jリーグ通算511試合131得点した左利きのストライカー。21年に現役引退を引退した。