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「覚悟が決まった」選手ミーティング チームを奮い立たせた反骨心 稲本潤一が回想する南アフリカW杯の舞台裏
反骨心と負けん気の強さがベスト16躍進の原動力に
岡田ジャパンは史上初のW杯8強進出を目指した決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦、延長戦を含めた120分間で決着がつかずにPK戦に突入。後攻の日本は1人目の遠藤保仁、2人目の長谷部誠、4人目の本田圭佑が成功したが、3人目の駒野友一(現・FC今治)のシュートはクロスバーを叩いて失敗。パラグアイの5人全員にしっかり決められ、PK戦3-5で敗れた。
稲本は、「PK戦で負けてしまいましたけど、もっと上に行けるようなチームでした」と総括する。
「すごく残念でした。でも、PK戦まで行ってやり切った気持ちは強かったです。(PKを外した)駒野(友一)には『お前のせいじゃないぞ』みたいな感じで声をかけたと思います。彼は、みんなから言われすぎて覚えていないでしょうね。今でこそ『お前のせいだ』とイジれますけど(笑)。過去の2大会に比べると、2010年は圧倒的に前評判が良くなかった。そこから見返してやろうという反骨心があって、負けん気の強さがチームを這い上がらせたと思います。僕自身、なかなか試合には絡めませんでしたけど、『たとえサブでももっと一緒にプレーしたい』と思える数少ないチームでした」
稲本の心の中にも、自身ラストとなった南アフリカW杯の記憶は深く刻まれている。
(文中敬称略)
[プロフィール]
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)/1979年9月18日生まれ、大阪府出身。ガンバ大阪ユース―ガンバ大阪―アーセナルーフルハム―ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン(WBA)―カーディフ―WBA(いずれもイングランド)―ガラタサライ(トルコ)―フランクフルト(ドイツ)―レンヌ(フランス)―川崎―札幌―相模原―南葛SC。J1通算225試合19得点、J2通算48試合1得点、J3通算10試合1得点、日本代表通算82試合5得点。プレミアリーグの名門アーセナルと契約し、イングランドなど海外4か国を渡り歩いた熟練の万能ボランチ。ワールドカップには計3回(2002年、06年、10年)出場し、小野伸二らが名を連ねる“黄金世代”の1人として、長年日本サッカー界を牽引してきた。