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稲本潤一が明かすドイツW杯の真相 日本代表「黄金のカルテット」が輝かなかった理由…“足りなかった力”とは?
「上手い選手を揃えるだけではダメ」と痛感
“過去最強”と期待されたジーコ・ジャパンだったが、結局1勝も挙げられないまま大会は終了。ブラジル戦のタイムアップが告げられた瞬間、不動の中心選手だった中田英寿はピッチに倒れ込んで人目をはばからず号泣し、その11日後には現役引退を電撃発表した。稲本も、「ヒデさんが辞めるとは思っていなかった」と語る。
「ブラジル戦がすごく力の差があった試合だったので、ヒデさんのことより、自分のことだけでいっぱいいっぱいでした(苦笑)。次にヒデさんに会ったのは何年もあとです。選手全員が同じ方向を向いて1つになれていたら、もしかしたら大会の結果は違ったかもしれない。厳しい言い方をすれば、少し献身性に欠けていたチーム。上手い選手を揃えるだけではダメで、戦力を前提に、選手の役割、キャラクター、チーム全体のバランスも重要だと思いました。W杯を『いい経験』と表現するのがいいかは分からないところがありますけど、教訓というか、自分のサッカー人生の中ですごくプラスになった大会です」
2006年ドイツ大会は、華やかさの中に潜む脆さを食い止められず、志半ばでドイツの地を去ることになった。
(文中敬称略)
※2010年南アフリカW杯戦記に続く
[プロフィール]
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)/1979年9月18日生まれ、大阪府出身。ガンバ大阪ユース―ガンバ大阪―アーセナルーフルハム―ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン(WBA)―カーディフ―WBA(いずれもイングランド)―ガラタサライ(トルコ)―フランクフルト(ドイツ)―レンヌ(フランス)―川崎―札幌―相模原―南葛SC。J1通算225試合19得点、J2通算48試合1得点、J3通算10試合1得点、日本代表通算82試合5得点。プレミアリーグの名門アーセナルと契約し、イングランドなど海外4か国を渡り歩いた熟練の万能ボランチ。ワールドカップには計3回(2002年、06年、10年)出場し、小野伸二らが名を連ねる“黄金世代”の1人として、長年日本サッカー界を牽引してきた。