日本代表OBが森保ジャパンの2選手に感銘 異なる“日の丸ストーリー”は「心にぐっとくるし、感慨深い」
宮市の代表入りで注目「自分も50歳を超えてから初めてその記録を知った」
一方の宮市は、中京大学附属中京高校からアーセナルへ移籍し、そのままフェイエノールトへ期限付き移籍。その後はボルトン・ワンダラーズ、ウィガン・アスレティック、トゥウェンテ、ザンクト・パウリを経て、21年夏から横浜FMに加入した。キャリアの中で右足首靱帯、左膝前十字靭帯、右膝前十字靭帯などを負傷して手術も経験。「ドイツで手術したら引退かもしれないという話をされ、契約の切れるタイミングだったのでこのまま終わるかも……」という危機に直面した過去を持つ。
そんな宮市との縁もあるという金田氏。“ある記録”が判明した忘れられない出来事を振り返った。
「宮市が18歳で代表入りした時、テレビ解説の仕事をしていてよく覚えている。当時、宮市が点を取ったらどうなるかと騒がれ、その延長で自分が日本代表の最年少得点記録(19歳119日)の保持者というのが分かり、自分も50歳を超えてから初めてその記録を知った」
縁が深い2人の日の丸ストーリーに金田氏は心を打たれていた。
金田喜稔
かねだ・のぶとし/1958年生まれ、広島県出身。現役時代は天才ドリブラーとして知られ、中央大学在籍時の77年6月の韓国戦で日本代表にデビューし初ゴールも記録。「19歳119日」で決めたこのゴールは、今も国際Aマッチでの歴代最年少得点として破られていない。日産自動車(現・横浜FM)の黄金期を支え、91年に現役を引退。Jリーグ開幕以降は解説者として活躍。玄人好みの技術論に定評がある。