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中村俊輔落選「正直驚きました」 ロッカー室で首相と歓喜の抱擁「今では絶対できない」 稲本潤一が明かす日韓W杯の舞台裏
ロシア戦後のロッカールームでは小泉首相と裸で抱擁
続くロシア戦でも、後半5分に左サイドの中田浩二からのグラウンダーのクロスを、ペナルティーエリア内で待ち構えた柳沢がワンタッチで落とすと、ボールは稲本の足元へ。冷静に右足を振り抜いて2試合連続ゴールを決め、勝利の立役者となった。
「ベルギー戦のゴールは、自分の持ち味が出た形。あれで得点感覚がよみがえって、得点に対するモチベーションがロシア戦でも出ました。ロシア戦後のロッカールームは、小泉(純一郎)首相がロッカーまでお祝いに来てくださったので、すごく盛り上がりましたね。当時、僕自身もイケイケで、小泉首相に裸で抱きついていました(笑)。今では絶対にできないと思います(笑)」
グループリーグ2勝1分で決勝トーナメント進出を果たし、史上初のベスト16と歴史を刻んだ日韓W杯。この大会を境に、海外リーグへ羽ばたいてく日本人選手も増えていった。稲本は「すごくバランスのとれたチームだった」と“トルシエ・ジャパン”を総括する。
「トルシエ監督は、3世代で一緒にやった初めての監督。ワールドユース、五輪、ワールドカップと同じメンバーが多くて、仲が良かったところに、ゴンさん、秋田さんが入ってより雰囲気が締ったので、すごくバランスがとれていました。個人的にも、一番印象深い大会。20年経っても、あのインパクトをみんなが覚えてくれているのはありがたいし、周囲の方に感謝です。でも、最初の2試合は良かったですけど、残りのチュニジア戦、トルコ戦は前半だけで交代しているので、悔しさのほうが強くて、もっと個人のレベルを上げないといけないと思いました。大会後に自分の所属チームでどれだけ成長できるか、モチベーションは高かったですね」
稲本ら野心に満ちた若手、中山や秋田ら献身的なベテラン――。自国開催のW杯で好成績を収めた背景には、絶妙な一体感でつながる選手間の信頼があった。
(文中敬称略)
※2006年ドイツW杯戦記に続く
[プロフィール]
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)/1979年9月18日生まれ、大阪府出身。ガンバ大阪ユース―ガンバ大阪―アーセナルーフルハム―ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン(WBA)―カーディフ―WBA(いずれもイングランド)―ガラタサライ(トルコ)―フランクフルト(ドイツ)―レンヌ(フランス)―川崎―札幌―相模原―南葛SC。J1通算225試合19得点、J2通算48試合1得点、J3通算10試合1得点、日本代表通算82試合5得点。プレミアリーグの名門アーセナルと契約し、イングランドなど海外4か国を渡り歩いた熟練の万能ボランチ。ワールドカップには計3回(2002年、06年、10年)出場し、小野伸二らが名を連ねる“黄金世代”の1人として、長年日本サッカー界を牽引してきた。