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中村俊輔落選「正直驚きました」 ロッカー室で首相と歓喜の抱擁「今では絶対できない」 稲本潤一が明かす日韓W杯の舞台裏
【2002年日韓W杯戦記|稲本潤一】中村俊輔の落選には驚き「伸二と2人が入ると思った」
今年11月、いよいよカタール・ワールドカップ(W杯)が開幕する。森保一監督率いる日本代表はグループリーグでスペイン、ドイツ、コスタリカと同グループとなり、“死の組”とも言われる厳しい状況のなか、史上初の大会ベスト8入りを目指す。
7大会連続となる世界の大舞台。これまで多くの代表選手が涙を流し、苦しみから這い上がり、笑顔を掴み取って懸命に築き上げてきた日本の歴史だ。「FOOTBALL ZONE」では、カタール大会に向けて不定期企画「W杯戦記」を展開し、これまでの舞台を経験した人物たちにそれぞれの大会を振り返ってもらう。初回は2002年の日韓W杯で鮮烈な活躍を見せた稲本潤一(南葛SC)だ。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史)
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21世紀最初のW杯となった日韓W杯は、ヨーロッパと南北アメリカ以外で初めての開催、アジア初開催、初の2か国共催と、歴史的な大会となった。「今思えば、日本で(W杯が)開催される価値は計り知れない」と振り返る稲本だが、当時はまだ22歳で、自国開催の重みを本当の意味では理解していなかったという。
「正直、当時は『日本で開催されるんだ』くらいにしか思っていませんでした。若さゆえに、だと思います(苦笑)。U-17世界選手権(ジュニアワールドユース)、ワールドユース(現U-20ワールドカップ)、オリンピック、ワールドカップと各年代の大会に出させていただいて、シドニー(五輪)から2年後だったので、その延長上みたいな気持ち。自国開催の価値はそこまで意識していませんでした」
日韓大会は、中田英寿、小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)と並ぶ日本屈指のゲームメーカーである中村俊輔(現・横浜FC)がメンバー23人から漏れたことでも記憶に刻まれている。稲本自身も「びっくりした」と話す。
「俊輔はトップ下でプレーしたかったでしょうけど、ヒデさん(中田英寿)という絶対的な存在がいました。当時の3-5-2(システム)の左(ウイングバック)は伸二やアレックス(三都主アレサンドロ)、俊輔も含めて、本来そのポジションではない選手もやっていました。落選に関して俊輔と話はしませんでした。でも、僕は伸二と俊輔、両方とも入るのかなと思っていたので、正直に言えば、(フィリップ・トルシエ監督が)俊輔を外したのは驚きました」