18歳でアーセナル、手術、引退宣告…「誇れることではなく恥ずかしいくらい」 宮市亮、どん底からの“代表復活劇”と偽らざる思い

10年ぶりの代表招集となったFW宮市亮【写真:Getty Images】
10年ぶりの代表招集となったFW宮市亮【写真:Getty Images】

10年ぶりに代表復帰の宮市が回顧、ドイツで手術「引退かもしれないという話をされ」

 森保一監督率いる日本代表は7月のE-1選手権で香港(19日)、中国(24日)、韓国(27日)と対戦する。10年ぶりに代表復帰を果たしたFW宮市亮(横浜F・マリノス)が18日のオンライン取材に応じ、18歳でイングランド1部アーセナル移籍時を振り返り「トップに上り詰めたい思いがあった。自分が代表に入っても、周りは代表のエース格で焦りもあった」と“焦りの10代”を回顧。また、怪我に泣かされたされたキャリアについて「誇れることではなく恥ずかしいくらい。ただ、やっていられるのは声援もあってこそ」と感謝の思いを口にしている。

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 中京大学附属中京高校を経て、アーセナルの加入が決定。当時、英国の就労ビザ発行基準を満たしておらず、フェイエノールトへ期限付き移籍し、翌シーズンはアーセナルでカップ戦に出場するも、間もなくしてボルトンへ期限付きした。その後はウィガン、アーセナル、トゥウェンテ、ザンクトパウリでプレーし、2021年から横浜FMに籍を移している。

 自身の10代について触れた宮市は、「18歳でアーセナルに行って、トップに上り詰めたい思いがあった。自分が代表に入っても、周りは代表のエース格で焦りもあった。大事なところというか、幸せに思えていなかったというか、焦りのある10代だった。理想を持っていた10代だったけど、そういうマインドは変わってきて感謝しながらプレーできていると思う」と振り返った。

 10代の頃、前途洋々に見えたキャリアは怪我によって陰りを見せる。ウィガン時代の12年に右足首の靱帯を損傷して長期離脱を強いられると、復帰直後に再び同じ箇所を痛めて手術。ザンクトパウリ移籍直後の15年には左膝前十字靱帯を断裂して手術を行い、17年には右膝前十字靭帯を断裂するなど、紆余曲折の道を歩んでいる。そんな逆境に直面し、心境に変化が生まれたという。

「膝の前十字靭帯を3回目に損傷して、ドイツで手術したら引退かもしれないという話をされ、契約の切れるタイミングだったのでこのまま終わるかもと。サッカー選手でいるのは当たり前じゃないとなって周りに感謝できるようになった。出場機会のない時でも、サッカー選手としていられることに幸せを感じて感謝できるようになった」

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