約5000分の2となる異色の転身 30歳で引退→審判へ、セカンドキャリアで目指すサッカー界の普及と強化
会社員として働きながらプロフェッショナルレフェリーを目指す
2022年で30年目を迎えたJリーグでは、これまで約5000人の日本人選手がプレーしてきた。現役を引退したサッカー選手が、サッカー関係の仕事に就くことは珍しくはない。日本代表の森保一監督を筆頭に、Jリーグのクラブで指揮を執っている日本人監督の多くは、選手としてJのピッチに立った者がほとんどだ。監督、コーチ、GKコーチといった指導者をはじめ、解説者、代理人、クラブスタッフなどで、サッカー界に残る者は一定数いる。しかし、サッカーのレフェリーをセカンドキャリアに選んだ者は、御厨が引退を決意した段階では、1人もいなかった。
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「リーグを成立させたり、試合を成立させたりするのに、審判は絶対に必要です。でも、プロサッカー選手を経験してからプロの審判員になった方は、誰もいなかった。それを聞いた時に、『目指す価値のある職業じゃないか』と思って引退を決めました。プロサッカー選手になった動機も、それに近かったんですよね。小さい頃から周りに認められたり、一番になったりしたら嬉しかった。それが僕の中で幸せを感じることでした。誰もやったことがないというのは、決断するうえで心に響きましたし、同時に『誰もいないということは険しい道なのだろうな』と覚悟もしました」
とはいえ、審判員になると決断をしても、当然、いきなり笛を吹いてお金をもらえるわけではない。4級からスタートして、3級、2級、1級とステップアップし、さらに評価を受けるなどして、Jリーグ担当審判員に選ばれる必要があった。アマチュア審判員の期間は、生活をしていくためにも別の仕事を持たなければならなかった。週末は試合を吹くため、土曜日、日曜日は休みが取れることなど、条件面は絞られていった。
そうした条件面を探していくなかで、株式会社山愛と出会い、就職。プロスポーツ選手のキャリア支援などの業務を行って生計を立てながら、プロフェッショナルレフェリーを目指していった。
「月曜日から金曜日までは仕事があり、残業があることもあります。それに加えて、トレーニング、レフェリーの勉強、研修、試合の振り返りなどを生活の中に入れていくのは、1日24時間しかないなかで大変でした」