なぜ政界の道へ進んだのか 34歳元Jリーガーが山口市議会議員として誓う“恩返し”
山口市議会選挙に出馬して見事にトップ当選
最終的に、引退して山口へ戻ると決めたのが昨年の夏。そして、山口市議会選挙に出馬すると決めたのは引退を発表する直前の10月頃だった。「準備期間は本当に半年あるかないかくらい。3か月前までに住民票を移さないと立候補もできないのでバタバタでした」。自身でも驚くほどの急展開だったという。
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行政の活動に関心がなかったわけではない。しかし、自らがその立場に立つことなど想像はしていなかった。それでも、2017年にはクラブでキャプテンを務め、怪我を抱えながらも残留争いの渦中にいるチームをまとめ上げた鳥養をよく知る周囲の人たちは、その挑戦を迷うことなく後押ししてくれたという。
「政治の道に進むことを相談した人の中に止める人はいなくて、みんな『お前なら大丈夫だ』と言ってくれました。でも、僕にはその根拠がよく分からなかったんですよね(笑)。レノファでキャプテンをやっていた時、チームはJ2で残留争いをしていて本当に最後の最後で残留を勝ち取ったんですけど、僕は(左膝の)半月板を怪我して試合に出られない時期がありました。でも、当時を知っている人は、『そんな状態でもチームの先頭に立って引っ張ってくれた』『どんなに苦しい状況であってもチームのために頑張れる人だと思うから選挙を応援します』と言ってくれました。そういうところを見てくれていたからこその『大丈夫』だったのかなと思います」
手探りの中で始まった選挙活動は右も左も分からず、何が手応えなのかすらも分からないまま演説を繰り返した。初めは誰も聞く耳を持ってくれなかったが、少しずつ風向きも変わってきた。結果的に投票率が過去最低の43.31%と課題も残る選挙戦だったが、ひとまず当選という結果には胸をなでおろした。
「最初は誰にも話を聞いてもらえませんでしたが、それでも少しずつ『鳥養が話してるから』と人が来てくれるようになりました。自分たちの陣営の中に選挙を何度も手伝っている方がいたんですけど、『こんな光景見たことない』と言ってくれて、それでようやく手応えを感じるようになりました。当選を知った時はとにかくホッとしました。とにかく当選できれば何でもいいと思っていましたが、周りが『やるからには一番を目指そう』と僕以上に熱意を持ってやってくれていました。その結果がトップ当選(3511票)につながったと思います」