Jリーグ参戦で戻った“充実の笑顔” 宮市亮が横浜F・マリノスで歩む“第2章”のプロセス
度重なる大怪我を経て、どんな事象もポジティブに変換する術を習得
いつしか、宮市から笑顔が消えた。度重なる大怪我も重なり、苦しさばかりが先行する時間が続いた。「正直、楽しい思い出ではない。自分自身が楽しめていなかった」。彼にとっては、後悔に近い鬱屈とした日々だったのなのかもしれない。
だから日本復帰とJリーグ初参戦は、久しぶりに前向きな気持ちに戻れた瞬間だった。
「正直なところ、18歳でアーセナルと契約した時に思い描いたキャリアではない。でも今は幸せ。この10年間の中で『引退か?』という時もあったし、苦しい時もあった。それを乗り越えてサッカーができる喜び、選手でいられるありがたみを誰よりも感じているところ」
さまざまな経験を経て、どんな事象もポジティブに変換する術を身につけた。怪我はより強くなるためのきっかけで、試合に出られない状況は自身を成長させる壁。ネガティブな発想を極力取り除き、前を向く。
出場機会を増やした今季序盤、決定機をモノにできなくても充実の表情を見せる宮市がいた。結果に至るプロセスすべてを楽しんでいる様子に好感度は高まる一方だったが、誤解を恐れず言えば、怪我なくピッチに立てていることに一定の満足感を示しているようにも見えた。
浦和戦で念願の初ゴールを決めて喜びを爆発させたが、チームは後半だけで3失点して引き分けに終わる。「個人的には嬉しいことだけど、それよりも追いつかれてしまった悔しさが残る試合になった」と唇を噛んだ。
怪我なく過ごし、コンスタントに試合に立ち、ようやくゴールも決めた。順調に見える足跡は、新しい宮市亮が誕生するきっかけに過ぎない。
第2章はまだ始まったばかり。笑顔の先にある感情表現を見たいと思わせてくれる選手、それが宮市亮だ。
(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)
藤井雅彦
ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。