Jリーグ参戦で戻った“充実の笑顔” 宮市亮が横浜F・マリノスで歩む“第2章”のプロセス
【J番記者コラム】アーセナル加入で突き付けられた「自分の中に軸がない」現実
横浜F・マリノスの背番号17が、弾けるような笑顔とともに躍動している。爆発的なスピードを武器にタッチライン際を疾走。5月18日のJ1リーグ第11節浦和レッズ戦(3-3)では待ちに待ったJリーグ初得点を、しかもビューティフルゴールで決めた。ファン、サポーターからの人気もここへきてうなぎ上りだ。
もっとも、FW宮市亮が笑顔を見せるようになったのは最近の話ではない。昨年7月のチーム加入以降、常に笑みを絶やさない様子が印象的だった。謙虚、律儀、実直――。彼のパーソナリティーを表す言葉はどれも文句なしに素晴らしく、チーム内外から高く評価されている部分でもある。
思い返せば最初の囲み取材からそうだった。
「自分はサッカーをできることが幸せでしかない。この10年間はいろいろあった。日本でも海外でもプロとしてサッカーをできる環境があるのは本当にありがたいこと。そういった感謝を噛みしめながら、楽しんでいきたい」
オファーを出してくれた横浜F・マリノスへの感謝を幾度となく口にした。苦しんでいた過去と決別するスタートに、胸を躍らせていたに違いない。
高校卒業前に海を渡り、欧州の名門アーセナルへ。輝かしい未来への第一歩を踏み出し、誰よりも自分自身に期待していた。
しかし、現実は一筋縄ではいかず、苦難の連続だった。レベルの高さへの戸惑い以上に「自分の中に軸がなかった」と回想する。
「各国の10番や9番といったエースナンバーをつける選手ばかり。そういった選手たちからポジションを奪わなければいけない立場だったのに、どこか憧れを抱いたまま加入してしまった。テレビゲームでプレーしていた選手たちと一緒のチームになって、『ここでサッカーをやっている自分は凄い』と心の中のどこかで思っていた。でも、現実は自分が凄いのではなく、周りの選手が凄いだけ。一緒に練習をやれているだけで自分が1位になっているような気分になって、自分にフォーカスできていなかった」
藤井雅彦
ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。