J1清水、事実上の“監督解任”に踏み切った訳 崩れたプラン、選手たちの中で生まれた「迷い」
【J番記者コラム】2年連続で降格危機からチームを救った平岡宏章監督と契約解除
5月25日のJ1リーグ第15節、清水エスパルスはFC東京と対戦し、前半終了間際に先制点を献上。後半16分、30分と追加点を奪われ、0-3で敗戦、今シーズン2度目の連敗を喫した。しかし、前節の反省を修正し、前半の立ち上がりには前線からのプレスを仕掛けFC東京のビルドアップを封鎖。DF山原怜音のクロスからエースFWチアゴ・サンタナが何度もゴールに迫る内容は、結果だけを見れば3失点無得点の「完敗」だったが、まだ復調への兆しが感じられた。
続く第16節はアウェーの柏レイソル戦。1得点はしたものの、チームの肝であるプレスがハマらずに内容も結果も前節以上の完敗の1-3で今シーズン初の3連敗。降格圏の17位・湘南ベルマーレと勝ち点差なしの16位となった。
試合後の会見では立て直しに意欲を示していた平岡宏章ではあったが、この結果を受け、クラブは試合翌日の5月30日の練習開始時間を午後に変更、午前中に話し合いを設け、双方合意のうえで契約解除。事実上の解任に踏み切り、清水としては4年連続となるシーズン途中での監督交代となった。
平岡監督は「残念ながら私は志半ばでこのチームを離れることになりますが」と無念さを現したが、「エスパルス愛」を全面に出し、2年連続でシーズン終盤に降格危機のチームを救った実績から自身初となるシーズン開始からチームを託された。クラブは「タイトル獲得、ACL出場」を目標に掲げたが、堅実でリアリストと自称する平岡監督はクラブの目標は理解しつつも「基盤作り」と今シーズンに臨んでいた。
シーズン始動日にはコロナ禍のため外国籍6選手の全員が不参加。まもなくして選手の新型コロナウイルス感染症の陽性判定を受け、練習はストップ。キャンプ前に予定していた練習試合もすべて中止となり、キャンプも9選手が不参加で紅白戦もできない状況となった。そのキャンプでもボランチの主軸と考えていたMF松岡大起が右足関節脛腓靭帯損傷し、試合に出場するまでに約2か月を要したが、その後にも怪我人が続出する事態が発生した。
「アグレッシブかつフレキシブル」を今シーズンのテーマにしていたが、怪我などによりフレキシブルに選手を使いこなせなかったこと。そして、その選手層から布陣を「3バックも十分にあり得る」と以前に話していたが、結局、怪我人が戻り戦力が整ってからも「4-4-2」もしくは「4-2-3-1」の形を崩さなかった。これが平岡監督の本心だったのかは分からないが、少なくとも当初に想い描いていたプランを形にすることはできなかった。
下舘浩久
しもだて・ひろひさ/1964年、静岡市(旧清水市)生まれ。地元一般企業に就職、総務人事部門で勤務後、ウエブサイト「Sの極み」(清水エスパルス応援メディア)創設者の大場健司氏の急逝に伴い、2010年にフリーランスに転身。サイトを引き継ぎ、クラブに密着して選手の生の声を届けている。