失意のリオ世代に求められる五輪後の反骨心 “3戦全敗”を糧に進化を遂げた北京世代からの金言
高い意識でプレーできるかが成長につながる
「僕たちは全部ボロ負けで壁を感じて、世界ってすごく面白いところなんだって思って、みんな移籍しました。若い頃から世界大会を経験できて僕も幸せだったし、リオに出た選手も幸せで今後に生きると思います。世界との物差しができるものなので」
確かに前述したとおり、この世代の選手たちは若くして海を渡った選手が多かった。オーバーエイジ枠を使用しなかったこの大会で、18人の登録メンバーのうち12人が、現在までに海外クラブでのプレーを経験している。最終的な登録メンバーに入らなかった選手でも、同世代では槙野智章や梅崎司も海外でのプレーを経験した選手たちだ。
李も2011年アジアカップでA代表デビューを果たすと、決勝のオーストラリア戦(1-0)では鮮やかなボレーシュートを叩き込み、日本にアジア王者のタイトルをもたらした。彼にとっても、五輪代表での活動が世界へ目を向ける大きな契機になったのだという。そして、Jリーグでプレーする上でも必要な経験になるのだと話した。
「リオではナイジェリアにはチェルシーの選手がいて、チェルシーにいるレベルの選手はどんなプレーをするかが分かったと思うし、僕らの時はアルゼンチンと練習試合をやって(アンヘル・)ディ・マリアやアグエロがいた。そういうところで物差しができる。それを基準にプレーするからJリーグでもうまくなったし、高みを目指すにしても標高の差が分かる。意識、判断のスピード、足りないところをどう補って長所を伸ばすのか。(香川)真司や(本田)圭佑も、みんなそうだと思う」
技術を高め、サッカー選手として成長していくことを日々の目的とするなかでも、具体的なプレーレベルの差を経験できることは大きいのだという。かつてのJリーグには、ドラガン・ストイコビッチ(元名古屋)やパトリック・エムボマ(元G大阪ほか)、ワシントン(元浦和など)といったトップクラスの外国籍選手がいたが、現在はそうではない。世界大会での経験をもとに、いかに国内でも高い意識でプレーできるかが、選手としての成長につながる。