U-21日本代表DF内野貴史、サッカー人生の転機は高校卒業後の渡欧 「どうしてもプロになりたかった」男が掴んだ“人生のチャンス”
「やるしかない環境に身を置き、『ここぞ!』という勝負に敏感になって過ごしてきた」
デュッセルドルフは本気で内野を欲しがっていた。アーヘンとの契約が1年残っていたため、獲得するためには移籍金が必要となるが、「お金を出してでも獲得したい」と強化部長は熱っぽく話してくれたのだという。
「強化部長の方から言われたんですけど、『トップチームは右SBを補強しない。なのでU-23は、右SBは妥協せずにいい若い選手を取りたい』って。すごく行きたいって思いました。僕、4部クラブから4部のデュッセルドルフ・セカンドチームへの移籍なのに、移籍金を払って取ってもらったんですよ」
人生にはいろいろなターニングポイントがある。内野にとってはスカウティングスタッフが見に来た試合で好パフォーマンスを披露することができたというのが、その1つだろう。チャンスを生かし、チャンスを掴み、それを次のチャレンジへとつなげていく。そうした出会いや巡り合わせを「運」という言葉だけで片付けることはできない。
「結果論かもしれないですけど、ドイツに来てからずっとそうした『来るべきチャンス』というのに敏感になっていて、どんな時でも次の試合に向けてちゃんと準備をしようってやってきました。自分は器用ではないというか、ほかにいろんな要素があったら、周りに友達がいたら遊んじゃったりしたかもしれない。海外にこうして1人で来て、やるしかないっていう環境に身を置くことによって、『ここぞ!』という時の勝負に敏感になって過ごしてきたと思います。強い気持ちというか、覚悟を持って来ているので、それをしないわけがないんです」
無名の存在だった内野はドイツで自分と向き合い、来るべきチャンスに常に備え、そして自分のパフォーマンスを正しく発揮してきた。チャンスが訪れた時に掴み取れるかどうかは、それまでどれだけの準備を正しくしてきたかが大事とされるが、内野のキャリアはまさにその重要性を改めて教えてくれているのではないだろうか。
※第3回に続く
[プロフィール]
内野貴史(うちの・たかし)/2001年3月7日生まれ、千葉県出身。新松戸SC―柏U-12―千葉U-15―千葉U-18―FCデューレン―アレマニア・アーヘン―デュッセルドルフ(いずれもドイツ)。ドイツ5部のデューレン、4部のアレマニア・アーヘンを経て、21年にデュッセルドルフのセカンドチームに加入。22年3月12日の26節パーダーボルン戦、コロナで離脱者が続出したなかで念願のトップチームデビューを飾った。同年6月のU-23アジアカップに臨むU-21日本代表メンバーに選出された。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。