U-21日本代表選手の新鋭DF内野貴史、「びっくりした」独2部デビューの舞台裏 「ダメなプレーをしたら次はない」からの成り上がり
現地で学んだ切り替えの早さ「ドイツ人って監督とケンカしても、次の日には普通に挨拶」
それにしても、世間からしたらこの試合だけを切り取って「突然の出場」という見方になるのかもしれないが、その出場権を得るために内野が戦い続け、勝ち残り続けてきた毎日があることを忘れてはいけない。
「最初はトップチームが11対11形式をやりたくて、右SBが必要だという話で呼ばれたんです。必死に頑張って、なんとか食らい付いていって、『今日の練習良かったから次もおいで』というのを繰り返すことができて。1個1個ミッションクリアじゃないけど、毎回の練習参加で『明日の練習参加権獲得した!』みたいな感じでサッカーやってました。『今日はきつい練習の日だなぁ』とかはまったくなくて。ダメなプレーをしたら、次はないと思っていましたから」
人間は考えすぎてしまうとプレーにネガティブな作用をもたらすこともある。ちょっとしたミスに気持ちが引っ張られてしまうことがある。「そこで悪い流れを断ち切れずに自分のパフォーマンスレベルを引き出せない」というのはトッププロでも普通に起こることだ。
「僕にもありました。でも声を出すとか、たくさん走るとかは調子悪くてもできる。無駄かもしれないけどそれはいつでもできる。でもそうやってやれることを100%やっていったら、意外にできるようになってくるというか。ミスをしても、シンプルにやっていけば、リズムを掴めて、いいプレーができるようになるって分かってきたから。今はもうミスをしたからどうこうというのはないですね。
あとドイツ人って監督ともすごく言い合ってケンカをしても、次の日にはどっちも普通に挨拶をして、普通に接しているのを目の当たりにしたんです。『あ、そうか。落ち込んでるだけ自分が損するな』って、こっちに来た瞬間に気づけたんですよ。外国人特有のメンタルかもしれませんが、『切り替えが早い』ことの大切さをこっちで学びましたね」
練習が上手くいかなかったらやっぱり僕らは落ち込んでしまう。そしてそれを引きずってしまいがちだ。監督に怒鳴られたりしたら、立ち直れないくらいショックを受けることだってある。「自分にもそうした傾向はあった」という内野がそうしたメンタルコントロールの大切さを、ドイツに来てすぐに気づけたのは重要だったことだろう。
※第2回へ続く
[プロフィール]
内野貴史(うちの・たかし)/2001年3月7日生まれ、千葉県出身。新松戸SC―柏U-12―千葉U-15―千葉U-18―FCデューレン―アレマニア・アーヘン―デュッセルドルフ(いずれもドイツ)。ドイツ5部のデューレン、4部のアレマニア・アーヘンを経て、21年にデュッセルドルフのセカンドチームに加入。22年3月12日の26節パーダーボルン戦、コロナで離脱者が続出したなかで念願のトップチームデビューを飾った。同年6月のU-23アジアカップに臨むU-21日本代表メンバーに選出された。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。